屋根裏部屋の美術館

天才画家達の秘密 「顔を感じる 顔が見える 顔だらけだ」

2010.11.09
中村正明
masaaki.nakamura.01@gmail.com

 はじめに

 靉光、彼末宏、正宗得三郎の作品を調べたところ、次のような特徴があった。

 ・制作した画家にだけしか分からないような隠し絵があり、その共通した内容は「顔」である。
 ・その「顔」には多重像といえるものがある。
 ・作品を回転してみると、別の像が出現する。

 そこで、屋根裏部屋所蔵の作品を調べると、非常に多くのものに同様のことが見られた。
 ここでは、その作品の一部を紹介する。
 掲載した作品には、Adobe Photoshop という画像処理ソフトで色調補正をしたものがある。
 ただし、隠し絵であるため、それを見つけ出すのには苦労するかもしれない。


 病跡学

 屋根裏部屋の美術館では、画家の作品と精神との関連について調べるため、作品から画家の精神に問題を感じるもの、および対照として一流画家の穏やかな精神を感じるものを集めた。
 一流画家の穏やかな精神を感じるものを含め、これら作品のほとんどに、先にあげた特徴と同じものがあった。

 この特徴が精神にものによるとしたら、同じようなものが、時代、内外にかかわらずあるはずである。


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 モディファイされた顔 その1




 モディファイされた顔 その2




 モディファイされた顔 その3

  


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 多重像の見方 その1

  

 中央上部四分の一にある赤い部分を唇とし、一番上の黒い部分をそろえた前髪とする。そうすると、前髪の下に左右に黒い目に相当するものがある。じっとその目に当たる部分と唇に当たる部分を凝視すると少女の顔が見える。
 次に、その唇に当たる部分の右下に赤色と青色の部分がある。その左側に赤い線を含む黒色の丸い部分がある。その2つを目とする。その目に当たる部分を凝視すると男の顔が見える。
 また、その赤色と青色の部分だけを凝視すると男の横顔が見える。
 それ以外にも画面右下、全体の四分の一にも顔のようなものが見える。


 多重像の見方 その2

 

 この作品には、「多重像の見方 その1」にあげたものと同様の技法がある。
 樹木で成り立った顔を分解してみると、三つ(?)の顔から成り立っている事が分かる。
 しかし、このような縦方向だけの多重像はあまりない。


 多重像の見方 その3




 多重像の見方 その4



 この作品は、小林寿永「道化師 あやとり」である。
 道化師の顔の回りには、多くの顔が重なるように描かれている。

 調べた作品には、顔の回りに顔が描かれたものがあるが、この作品のように直ぐに分かるようには描かれてはいない。
 

 多重像の見方 その5



 この作品は、二つの目を凝視すると、正面を向いた一つの顔に見える。
 また、ひとつの目だけを凝視すると、横顔に見える。
 この絵画は、すばらしい技巧のもとに描かれているが、作品の本質は「多重像の見方 その4」と同じもので、画家の精神には「人の中にまた他の人を感じる」というものがあると考える。


 多重像の見方 その6

 

 

 この作品は、村上肥出夫「少女」(兜屋画廊取扱、個人所有)である。
 これを「多重像の見方 その5」と同様に片方の目だけを凝視すると、別の顔が見える。
 また、「多重像の見方 その4」、「多重像の見方 その6」と同様に、少女の回りには多くの顔が重なるように描かれている。


 多重像の見方 その7



 この作品は彼末宏「静物」の一部であるが、これを今まで述べてきた方法と同じ様に見ると、もとの作品では、たんなる背景(壁)としか見えなかったものに多くの顔が描かれていることに気づく。
 これを液晶画像で見るなら、角度を変えたり、遠くから見たりすると容易にいろいろな顔が見える。
 なれると、視点および焦点を変えるだけで、いろいろな顔を見ることが出来る。
 顔の一部が別の顔の一部となり、折り重なっている多重像である。


 多重像の見方 その8



 この作品も、今まで述べてきた方法と同じ方法で見ると多くの顔があることに気づく。
 木の葉で成り立った顔であるため分かりにくいが、顔が上下左右に並んでいる。
 「多重像の見方 その7」の作品は、このように規則正しく並べられたものではないが、同じようなものである。
 顔の一部が別の顔の一部となり、折り重なっている多重像である。


 多重像の見方 その9

 

 「多重像の見方 その4」と「多重像の見方 その6」の作品には、画家の精神的なものが強く反映している。
 それは、「顔を感じる、顔が見える」という幻覚および幻覚に近いものである。
 このような幻覚を持つものは、体感幻覚を持つことがある。

 「非現実的感覚が『自己』という現実に関連して起こる場合は、『自分の顔にクレーターのような円錐形の穴があいている』とか、『口がグチャグチャに裂けている』『顔が人並みはずれて大きい』『頭髪が抜けている(実際は抜けていない)』『自分は誰かに操られている』などと訴える人がいる。」(「幻聴・不安の心理療法」黒川昭登・上田三枝子著、朱鷺書房)

 この作品には、首、指に動物の頭がある。これは、体感幻覚を描いたものである。
 また、顔にはいくつもの顔がある。顔と腕の間に、顔らしいものが見える。
 それは、視点の移動と焦点の移動(凝視、ぼんやり見る)により現れる顔の形が変わって見える。
 これは、顔の一部が別の顔の一部となり、折り重なっている多重像である。


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 靉光「蝶」(1942年)

 

 「モディファイされた顔 その1」は、靉光「蝶」の一部である。


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 満谷国四郎「裸婦」(1919年大正8年作、古物美術商物故堂2代目取扱絵画、屋根裏部屋の美術館蔵)





 

 「モディファイされた顔 その2」は、満屋国四郎「裸婦」の一部である。


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 古沢岩美「裸婦」(油性パステル、ドクターズギャラリー取扱、SBIartfolio取扱、個人蔵)





 この作品には、いくつもの顔が多重像で描かれている。


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 佐伯祐三「コルドヌリ(靴屋)」(1925年、茨城県近代美術館蔵)





 「多重像の見方 その1」は、佐伯祐三「コルドヌリ(靴屋)」の一部を切り抜いたものである。
 この「コルドヌリ(靴屋)」の元絵と180度回転したものを掲載した。
 元絵を180度回転したものからは、新たに生き物が見えてくる。
 この二つの画像には、多くの動物が描かれている。また、多重像がある。
 

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 佐伯祐三「ノートルダム寺院」(筆墨と水彩、「佐伯祐三巴里日記9」/「未完 『佐伯祐三の巴里日記』匠秀夫編/著)



 この建物全体がひとつの動物の顔に見える。黒い屋根にもいろいろなものがいるようだ。

 中央下の赤い部分を舌とし、全体を凝視すると動物の顔に見える。この寺院の屋根の上にある二つの塔が耳である。
 こんどは、中央にある丸いステンドガラス窓を顔と見立てると立っている人が浮かぶ。その左右にも人がいる。この左右の人は女性である。右側が女の子である。
 今度は、丸いステンドガラス窓の下のほうだけに注目し、今度は、赤い部分を大きく開けた口として見ると男の人が笑っているような顔に見える。その右も笑っている顔に見える。左側には二人の人が立っている。
 
 作品「コンドヌリ(靴屋)」と作品「ノートルダム寺院」には、動物と女の子が描かれていて、その二つには作風は大幅に異なるが、根底には作者の同じ精神がある。


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 佐伯祐三「パリの裏町」(1924年頃)



  

 この作品にも、多くの顔が描かれている。
 男の顔、涙を浮かべている少女、暗闇の中で絵を描く画家。


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 ジュゼッペ アルチンボルト「四季 冬」

 



 「多重像の見方 その2」と「多重像の見方 その8」にある作品は、この作品から一部を切り抜いたものである。
 また、首のところにも顔がある。


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 今西中通「裸婦」(油彩画、東京美術倶楽部鑑定証書付、古物美術商物故堂取扱、個人蔵)



 この作品は、東京美術倶楽部鑑定証書が付いたもので、力強く、優れたものである。
 しかし、個々をよく観察すると不気味なものでしかない。


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 画像処理ソフト Adobe Photoshop で色調を調整すると不気味さが増してきた。
 腕の付け根辺りには顔が見える。
 そして、一部切り抜きの部分は親子の馬の顔にも見える。
 ただし、これらのことは元画像からでも分かるが。


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 画像を時計回り90度回転してみる。
 一部切り抜きの部分は、黒い獣に見える。それは、何匹の獣のようにも見える。
 また、女性の頭がかじられているようにも見える。


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 元画像を時計回り180度回転してみる。
 髪の毛、背、肩、胸、腹とすべてに連続して顔が描かれている。上部の白い部分にもいくつかの顔が見える。
 これは、多重像である。

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 今西中通「白良浜より***を望む」(和歌山県西牟婁郡白浜町、古物美術商物故堂取扱、屋根裏部屋の美術館蔵)







 この作品にもいろいろなものが隠されているようである。
 白い砂浜部分、そして一番下の部分にも動物が描かれているようである。


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 朝井閑右衞門「渓流」(屋根裏部屋の美術館蔵)



 この作品は、ほとんどが多重像で占められている。


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 鈴木保徳「高原の秋」(帝展出品作、1941年、屋根裏部屋の美術館蔵)







 
この作品にも多重像が描かれている。


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 依岡慶樹「夢を見る女」(エッチング、屋根裏部屋の美術館所蔵)









 
非常にわかりにくいが、この作品にも多重像がある。
 
依岡慶樹の問題のある履歴:死を覚悟した病による鬱状態と快復後の躁状態


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 村上肥出夫「人形」(個人蔵)





 
村上肥出夫の問題のある履歴:放浪、精神を病んで入院


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 村上肥出夫「少女達」(屋根裏部屋の美術館蔵)





 
作品「少女」、作品「人形」、作品「少女達」では、作風は異なる。
 
 
この作品にのピンク色の服を着た少女であるが、足を見ると2本であるので一人だと分かる。しかし、顔は二つある。また、中央の少女であるが、描かれている顔は一つではない。また、色調変換して黄色に見えるのは、人のようである。褐色の部分は、動物なのか人の顔なのかは分からない。


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 村上肥出夫「室内の少女」(布にペンと彩色、インターネット絵画販売・絵画卸し木村美術kmi_auction取扱、屋根裏部屋の美術館蔵)







 
画像を反時計回りに90度回転してみると、多重像が描かれていることが分かる。


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 国吉康雄「裸婦」(1918年、ギャラリー藤岡取扱、屋根裏部屋の美術館蔵) 





 作品では、後ろ向きの裸婦が描かれてるとしか認識できなかった。
 しかし、色調補正をすることにより、多くの多重像を確認できた。
 その後、元画像を見直すと、ここからも多重像があることが分かるようになった。


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 緑川廣太郎「自画像」(「緑川廣太郎 素描展」始弘画廊)





 
この作品には、多重像があるように見える。
 画家は、自画像に、別の顔別の顔を付着したようにも見える。


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 緑川廣太郎「菜の花」(1943年、good8508art取扱、屋根裏部屋の美術館蔵)




 
 作品全体が、一つの顔を現しているように見える。
 また、ここにも多重像がある。


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 香月泰男「母子」(堀美術館蔵)







 この作品にも多重像がある。


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 香月泰男「一本道」(仮題、1972年61歳頃?、古物美術商物故堂取扱、屋根裏部屋の美術館蔵)









 かき込みが少ないようなこの作品にも、多くの多重像がある。


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 全和凰(チョン・ファファン)「ある日の夢-銃殺」(1950年、京都市美術館蔵)





 
この元画像を凝視すると、白く浮き上がる多重像があるのがわかる。
 
また、回転させた画像にも、新たな多重像が見える。
 
全和凰(チョン・ファファン)が受けたストレス:貧困と差別。


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 全和凰(チョン・ファファン)「花」(屋根裏部屋の美術館蔵)

    

 
この画像を凝視してみると、多重像があることに気づく。
 一部切抜きを回転してみると、それぞれに異なった顔が現れる。


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 全和凰(チョン・ファファン)「麦秋」(ギャラリー仁井谷取扱、屋根裏部屋の美術館蔵)











 この作品にも、多重像がある。


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 全和凰(チョン・ファファン)「平和」(仮題、good8508art取扱、屋根裏部屋の美術館蔵)





 元画像を見ると、城門の中にある木の梢、花壇の花も顔に見える。
 画面右上の城門入り口には多重像がある。


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 荻須高徳「自画像」(1931年)

  

 この作品にも多くの顔が描かれている。
 作品を反時計回りに90度回転して、肩の部分にある多重像を見ると、画面左向き、画面やや左向き、画面やや右向きの顔が見える。


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 萬鉄五郎「赤ん坊」(仮題、「赤ん坊の寝顔のスケッチ」、1910年頃)

 





 この作品には多重像がある。
 この作品を反時計回りに90度回転してみると、唇の様なものが見える。そこにも顔が見える。
 また、これを唇とすると鼻のところに赤ん坊の頭が生えている。


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 萬鉄五郎「裸体美人」(1912年)

 

 この作品の草の部分には、多重像がある。
 また、これを180度回転したものにも別の多重像が現れる。
 しかし、何の顔だか分からない。


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 萬鉄五郎「裸体美人」(木炭・紙、1912年頃)



 裸婦の腹が顔に見える。
 そして、太もも部分から奇妙な顔が見える。その顔は、腹にある顔に食われているようである。
 この素描は、卒業時に作られた「裸体美人」のためのものと考える。
 萬鉄五郎「裸体美人」は、日本のフォーヴの始まりとされているが、この素描にはフォーヴのかけらもない。
 作品「裸体美人」強烈な色彩は精神的な問題からのもので、作品はフォーヴではないと考える。


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 萬鉄五郎「木の間から見下ろした町」(1918年)



 木の間から見下ろした町には、家の屋根が見える。この部分について視点を変えると、キューブで描かれた多重像が見える。
 また、この作品を90度回転すると、キューブで描かれた別の多重像が現れる。


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 萬鉄五郎「ガラス器に盛られた果物」(仮題、屋根裏部屋の美術館蔵)





     

 作品を時計回りに90度回転し、目の焦点を画面より後方にもっていくと、左右の黒い部分に多重像が現れる。
 この作品の左下にある茶碗には、多重像がある。これを回転してみると、絵がさまざまに変わる。


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 萬鉄五郎「静物」(個人蔵)








 白い皿の後ろにいるネズミは多重像で描かれている。
 どこに目の焦点を合わせるかによりネズミの見え方が変わる。


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 林武「十和田期」(1953年制作、国立公園協会蔵)





 これは、元の絵にコントラストを強めたものである。
 樹木は人(獣?)の顔に見える。対岸の山にも人の顔と感じるものがある。
 これを反時計回りに90度回転してみると、顔が異なって見えるようになる
 緑色の顔は、多重像で描かれ、視点を変えることにより顔が変わる。


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 林武「気仙沼湾風景」(1965年、古物美術商物故堂取扱、屋根裏部屋の美術館蔵)









 この作品にも多重像がある。


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 林武「青と赤の背景の裸婦」(仮題、1924年、真贋不明、屋根裏部屋の美術館蔵)





 この作品は、保管状態が悪く、左端の赤いカーテン部分が雨漏りの水によりダメージを受け膨れあが膨れあがったと考えていた。しかし、この部分は、多重像が描かれていた。
 また、青い背景にも顔が描かれている。

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 佐伯米子「薔薇」(good8508art取扱、個人蔵)






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 佐伯米子「静物」(1940年、古物美術商物故堂取扱、屋根裏部屋の美術館蔵)







 
この作品にも、多重像があるように見える。


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 古沢岩美「男になれ」(古沢岩美銅板画集「修羅餓鬼」より)



 

 この切り抜き画像だけでも多くの顔が見える。これを時計回りに90度回転させると、また新たな顔に気づく。
 男のうなじ辺りから吐出している器官が描かれている。これは統合失調症にある症状で、臓器が皮膚から飛び出したように感じる体感幻覚というものである。

 この体感幻覚というものが「幻聴・不安の心理療法」(黒川昭登・上田三枝子著、朱鷺書房)に記載されている。ただし、そこでは統合失調症における症状としてではなく離人症における症状として取り上げられている。

 「非現実的感覚が『自己』という現実に関連して起こる場合は、『自分の顔にクレーターのような円錐形の穴があいている』とか、『口がグチャグチャに裂けている』『顔が人並みはずれて大きい』『頭髪が抜けている(実際は抜けていない)』『自分は誰かに操られている』などと訴える人がいる。」


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 田中保「裸婦1」(シアトル時代、ギャラリー愛取扱、フクヤマ画廊取扱、個人蔵)





 女性の肩、背中、腰、尻へと動物の多重像がある。それ以外にも多重像があるように思える。


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 田中保「裸婦2」(シアトル時代、SBIアートフォリオ株式会社取扱、屋根裏部屋の美術館蔵)

 





 この画像にも多重像がある。


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 跡見泰「村はずれ」(1922-1924年頃制作、1967年跡見泰回顧展出品作、絵画インターネット販売業hiromi取扱、屋根裏部屋の美術館蔵)

 







 元の絵画では、細かい情報が目に映るため、これを画像処理ソフト Adobe Photoshop によりノイズをくわえた。
 ノイズを加えた画像を回転させた。
 目の焦点を変えることにより、これからさまざまな顔を見ることが出来る。
 そして、さらに驚くことにこの絵画は一面小さな顔が描かれている。
 

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 岩佐又兵衛「布袋と寿老の酒宴図」(福井県立美術館蔵)













 この作品には、多くの顔が描かれている。
 これを180度回転してみると、また新たな顔が現れる。そして、建物も新たなものに変わっている。
 布袋と寿老人のいる館が変わり、現れたのは妖怪の館である。


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 岩佐又兵衛工房?「三面大黒」



 



 作品「三面大黒」とあるが、三面ではない。もっと多くの顔があるが、トリックアートのため気がつかなかったようである。
 この作品の上部には多くの顔がある。大黒の右袖に見えるのも顔だろうか。
 これを180度回転してみると、また新たな顔が現れる。そして、現れたのは岩佐又兵衛「布袋と寿老の酒宴図」に描かれた白い妖怪が現れた。


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 岩佐勝重?、岩佐又兵衛? 浮世絵「美人図」



  

 この作品をよく観ると、着物の柄には動物の顔、人の顔が描かれているように見える。
 また、背景部分にはうっすらと何かが描かれているようである。
 そこで、 画像処理ソフトAdobe Photoshopで色調補正をすると多重像として描かれた顔が現れた。


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 岩佐又兵衛工房?「七福神」





 この元画像そのものにも動物が隠されて描かれている。
 また、画像処理をすることにより、背景一面に何か描かれていることが分かる。


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 モディリアーニ「ジャンヌ・エビュテルヌ」





 作品を色調補正してみると、帽子のところに多重像が見える。
 それ以外にも、左下の背景にも何か描かれているようである。
 モディリアーニ(1884年−1920年)


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 ピカソ「聖体拝受」(ピカソ15歳のときの作品) 

 
  
 
 祭壇、壁には多重像がある。
 ピカソ(1881年−1973年)


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 ピカソ「シュザンヌ・ブロックの肖像」(1904年、サンパウロ美術館蔵)

 


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 ピカソ「マドレーヌ」(1904年)

 

 この作品にも多重像がある。
 また、女性の首に顔があるように見える。


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 ピカソ「シュミーズ姿の少女」(1905年)





 壁には多くの顔が多重像として描かれている。


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 ピカソ「腰をかける二人の裸婦」(銅版画、1930年)





 二人の裸婦により、顔が成り立っている。


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 パウル・クレー「南の庭」(1936年)



 この作品には、「顔」があることは確かである。
 「彼は、絵に「顔」を描くということを一つの技術として用いている。」(「パウル・クレー 絵画と音楽」アンドリュー・ケーガン著、西田秀穂・有川幾夫訳、音楽之友社)
 パウル・クレー(1879年−1940年)

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 マティス(素描)





 「モディファイされた顔 その3」は、マティス(素描)の一部である。
 マティス(1869年−1954年)


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 マティス「生きる喜び」(1905,1906年、バーンズ財団美術館蔵)





 この作品には、「顔」が描かれている。


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 ムンク「星の多い夜」



 
この作品には、画面全体に多くの顔が描かれている。
 また、人影が描かれている。
 ムンク(1863年−1944年)


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 ゴッホ「自画像」



 
ゴッホ(1853年−1890年)
 
背景には、多重像がある。


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 ゴッホ「アイリス」




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 ゴッホ「横たわる牛」(1883年)





 
牛の中には、多くの動物がいる。


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 セザンヌ「セザンヌ夫人」





 背景には、多くの顔が描かれている。そして、それは多重像である。
 また、上着にも顔がある。
 セザンヌ(1839年−1906年)


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 ギュスターヴ・モロー「オルフェウス」





 足下には、多重像が描かれている。
 ギュスターヴ・モロー(1826年−1898年)


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 ルーカス・クラーナハ「ルター」(1520年)





 背景に多重像が描かれている。
 ルーカス・クラナーハ(1472年−1531年)

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 ヘールトヘン・トット・シント・ヤンス「ロザリオの聖母」(1480年頃





 この作品にも、多重像がある。
 ヘールトヘン・トット・シント・ヤンス(1465年頃−1495年頃)


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 レオナルド・ダ・ヴィンチ「聖アンナと聖母子」(1508-1510年、ルーブル美術館蔵)







 この作品にも多重像がある。
 レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年−1519年)


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 レオナルド・ダ・ヴィンチ「女性頭部」(1508年、パルマ国立美術館蔵)







 髪の毛、肩に多重像がある。


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 レオナルド・ダ・ヴィンチ「聖母と幼児キリスト、聖アンナ、幼児聖ヨハネ」(1499-1500年頃、ナショナル・ギャラリー蔵)






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 多重像の本質 池田満寿夫「屋根裏の散歩者」、「陽光のように」





 この作品には、ばらばらになった手足がある。ここに、今まで紹介した絵画の本質があると考える。
 多重像は、そのばらばらにしたパーツを再構築(統合)したものである。
 
 この元絵画にもいくつかの顔が多重像として描かれている。
 それを180度回転してみると、また新たな顔が見える。

 つまり、画家にはパーツの再構築における部分に才能と問題がある。
 これは、脳の障害によるもので、映像の超短期記憶構成に問題があるからである。
 他から見て、明らかに精神に異常をきたしているように見えないのは、抑制の欠如がある場合のみおかしな人と見られ、単に幻覚のみがたまに起きる場合、他から何ら知られることがないためである。
 


 この作品は、ピカソが描く顔と類似したものである。
 これは、一見すると、この顔は正面を向いた顔と、横顔の二つが描かれているように見えるが、実はもっと多くの顔がある。
 左側には、赤い口をした黒い顔があり、右下には、オレンジ色をした口と白い目をした赤い顔がある。それ以外にもある。
 つまり、多重像である。
 
 ここで取り上げた作品には、「人体をパーツで見る」、「多重像」、「隠すように顔を描く」、「体感幻覚を描く」などがある。
 これらは、技法というものではなく、画家が感じたまま、見えたままを描いたと考える。
 それは、これらを描いた画家の多くに、非常に強いストレスを受けたことがあるという共通点があるからである。 


 多重像の本質 古沢岩美「変貌」(1992年、個人蔵)



 作品「男になれ」の作者である古沢岩美のものである。
 ここでは「人体をパーツで見て、再構築を行っている」が、池田満寿夫「屋根裏の散歩者」と異なり、パーツ自体は崩れている。


 多重像の本質 小林孝至「過ぎゆく時間」(2008年、作者蔵)



 無名の新人、小林孝至の作品「過ぎゆく時間」である。
 ここには、多重像が描かれている。

 この画家は、画家村上肥出夫と同じく、少女をモチーフにして幻覚によるような多重像を描いている。
 村上肥出夫は、履歴からは @幼少期に受けたストレス、主に「母親との別れ」 A結核等の死への恐怖 などの強いストレスは見つかっていない。私は、村上肥出夫が受けたストレスは「幼少期に受けた父親からの恐怖」と考えていた。
 なお、村上肥出夫は精神を患い長期入院した。
 そこで、この画家に次のことを伺ってみた。

@ 父親が怖い存在であったか。
A 服用した薬(抗精神病薬)の名前
B 近親者に精神に問題がある人はいるのか。
B 幻覚を見ながら描いたのか。

 その答えは次の通りであった。

@ 父親は非常に怖い存在だった。
A ジプレキサ等を服用したことがある。
B 祖父は小学校の時、黒いリンゴを描いた。なぜ黒いなのかと聞くと、黒いからだと答えた。また、叔母は理由もなく怒り出す人であった。おかしな人は、祖父、叔母、そして私である。
C 小さい頃には幻覚を見たが、現在は見ていない。手がかってに動き、描くことがある。顔の色を緑色にする時があるが、緑色を塗りたくなるからである。他人から、私の絵の中に顔があると言われる。

 ジプレキサ:アメリカでは統合失調症に加え、双極性障害の躁病相の治療と予防、プロザックと併用することで双極性障害のうつ病相の治療、難治性うつ病の治療においてもFDAから承認を受けている。(Wikipedia)

 小林孝至(こばやしたかゆき) 履歴

 1984年 群馬県に生まれる。
 2006年 第33回青枢展新人賞受賞。
 2007年 第34回青枢展準会員優秀賞受賞。

 小林孝至 ホームページ
 
 http://www.takayuki-oekakichamp.com/


 多重像の本質 小林寿永「ある詩」



 この作品にも多重像が描かれている。
 小林寿永は次のように語っている。

 「私の絵は、架空のものではなく、現実を描いたものである。」

 誰が見ても、この絵は現実を描いたものとは思えない。


 多重像の本質 パウル・クレー

 


 多重像の本質 解離

 1948年1月26日、戦後に起きたまれにみる凶悪な事件帝銀事件が起きた。青酸カリを用いたもので、12人が殺害された。
 その時逮捕された平沢は、留置所内で普賢菩薩を見たと述べている。
 平沢は、それを夢幻のようなものと述べている。
 平沢の見た夢幻とは次のようなものである。

 ・菩薩が夜現われて、「実相はあくまでも実相で、お前が何と言っても私は皆知っているぞ」と言うのですが、その時は有り難くて、思わず自分は拝む姿勢になっています。だから半分夢でも半分は気が付いているのでしよう。夢幻のようなものです。
 ・このごろ毎晩2人か3人ずつ帝銀の亡くなった方が出ていらっしゃいます。私、幽霊などということは思っていませんけれど、ありありと私の目に見え、寝ている私に乗ってこられるような気がします。毎晩手を合わせて拝んでおります。(9月25日、第39回聴取書)
・昨夜は2時半ごろまで眠りました。昨夜出て見えたのは2人でした。俺の苦しさをお前にも分からせ知らせるために、死刑の時は青酸加里で殺してもらえと言われました。(9月26日、第42回聴取書)
 ・昨晩は仏様が出てみえました。お書き取り願えませんでしょうか。「吾が雲を清ませ給ひ御仏の手招き給ふ法の大道」。御調べから帰ってきましたら、進駐軍が入ってきてがたがたして眠られず、12時の時計が打ってからウトウト致しました、その中に足はしびれ胸は苦しくなると、また4人出てこられ、私に何か言おうとしておられるので、私は合掌して許してくださいとお詑びをしていたら、ボーと明るくなってきたので見たら法隆寺の壁画のような方が背光を放って立っておられます。その光を浴びて亡霊は消えてなくなってしまいました。仏様は口をお開きになって、平沢、平沢よくお聞きよ、あなたが今一生懸命清くなろうとしている事は分かっている。しかしこの間、この壁に書いた遺書をご覧……犯人でないなどと特に大きく書いたではないか。あなたがそういうことでは人はごまかせても私たちをごまかせぬ。第一あなた自身がごまかされないではないか。(9月27日、第45回聴取書)
 ・3度自殺をしようとしたが、仏様が夢に出てこられて、心が清まらぬと死なれないといわれたので、すっかり申し上げた。

 この現象が離人症で見られる解離である。

 DSM(精神障害の診断と統計の手引き Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)では、離人症性障害として次のように定義している。

1. 自分の精神過程または身体から遊離して、あたかも自分が外部の傍観者であるかのように感じている持続的または反復的な体験。
2. 離人体験の間、現実吟味は正常に保たれている。
3. 離人症状は臨床的に著しい苦痛、または社会的、職業的、または他の重要な領域における機能の障害を引き起こしている。
4. 離人体験は、精神分裂病、パニック障害、急性ストレス障害、またはその他の解離性障害のような、他の精神疾患の経過中にのみ起こるものではなく、物質(例:乱用薬物、投薬)またはその他の一般身体疾患(例:側頭葉てんかん)の直接的な生理学的作用によるものでもない。  

 小林孝至および小林寿永は、精神を病み投薬治療をしていた時期がある。また、幻覚を描いたものではないと言っている。しかし、小林孝至が言う「手がかってに動いて描く」、また、小林寿永がとても現実とは思えない作品について言う「架空のものではなく、現実を描いたものである」というものは、無意識と意識の合間にいるからである。


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 ストレスと幻覚

 「屋根裏部屋の美術館」では、なにかおかしな絵画について展示・研究している。
 そこでの一貫した考えは次の通りであり、これらはすでに発表されているものである。

1.幻覚は脳の障害で起きる。
2.その障害は、ストレスにより起きる。
3.ストレスは累積する。
4.ストレスを受けた場合、その後のストレスに対して脆弱性が大きくなる。
5.ストレスには次のようなものがある。  遺伝(ストレスに弱い脳)、胎児時のストレス(母親の多量飲酒、インフルエンザ)、出産時のストレス(仮死状態での出産、出産後の放置)、乳幼児・幼少期のストレス(母親との別離、厳しすぎる親)、愛の破局、死への恐怖(戦前の結核、がん)

 ストレスの積み重なりにより脳に障害が生じ、その後、わずかなストレスにより幻覚が生じる。それは、もう一人の自分を感じる、壁などに顔が見える、自分の皮膚に別な臓器あるように感じる、他人の皮膚に別な臓器があるように感じる、すべてが崩れて見える、人体がパーツのように認識される、というようになる。

 人体をパーツとして見る画家は、理性を持って芸術へと昇華している。
 しかし、幼少期に親から暴力を受け、脳の抑制を司る部分に障害が起き、また、人体をパーツとして見るようになると、その人は強い怒りにより殺人を犯した時、死体をばらばらにすることがある。これは、人体をパーツとして再現する。これが、ばらばら殺人の精神的背景である。


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 幼少期におけるストレス

 テレビ連続ドラマ「SP(警視庁警備部警護課第四係) Episode U-1」には、幼少期にストレスを受けた主人公が特殊な体験をしたことが

 6歳の頃、テロで両親を亡くし、その後警視庁組織犯罪対策第一課課長・井上の養子となる。この経験のためか五感が異常に発達し、嘘や身の回りの危険を察知する能力「シンクロ」、見た光景を一瞬で記憶し映像として残す「フォトグラフィック・メモリー」が発現した。

 「NGFは、記憶機能を高める役割を持っているんです。全体的に脳内の活性が非常に高いですね。高すぎるといってもいいでしょう。ここまで高いと、感覚神経が敏感になりすぎて、日常生活に支障が生じてしまう場合があると思うですが、いかがです?例えば、眠りが浅かったり、些細な日常の音がうるさくて聞こえてしまったり、他の人がわからないような匂いを嗅ぎ取ってしまったり、そういうことはありません?」
 「原因は、何なんですか?」
 「NGFが脳内で、大量に合成されているんでしょう。NGFの合成促進には、アドレナリンや、ドーパミンなどの脳内物質が関係しているんですが、それらは緊張状態の時に大量に分泌されるんです。井上さんが勤務中に、幻覚や目眩を感じるのは、そのせいでしょう。ところで、NGFと、脳内物質バランス、そして、神経回路。この3者のシステムは、幼少期に構築される場合が多いんですが、その頃に、酷く不規則な生活を送っていたとか、何か強いショックを受けたことなど、なかったですか?」

 「幼い頃、自分の目の前で両親が殺されたことを思い浮かべる井上。ナイフから滴り落ちる血。背後には青いジャンパー。少年(井上)を抱きしめようとして倒れる男(総理?)。少年の後ろに立っている男(父親?)。顔を歪ませて走る。笑みを浮かべる中年男性。道路に倒れて動かない父と母。」

 この内容では、幼い頃、強いショックを受けると、NGF・脳内物質バランス・神経回路の3者のシステム構築に問題を生じるということになる。


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 NGF

 イタリアのリタ・レビモンタルチーニによって、マウスの肉腫から発見されたアミノ酸120個からなるタンパク質で、末梢神経系における交換および知覚神経細胞の分化・成長・維持に必要な因子とされていた。
 NGFは長い間、末梢神経系でしか作用せず、脳では働かないと考えられてきたが、1985年ドイツでNGFは大脳のコリン作動性神経細胞の分化・成熟および維持に必要な神経栄養因子であることが明らかにされ、老人性痴呆-アルツハイマー病などとの関係が注目されるようになった。
 その後、87年日本で、脳内のNGFは神経細胞の隙間を埋めているアストログリア細胞で合成されていることを突き止め、さらに神経伝達物質の一種、カテコールアミンを利用して脳内のNGF合成量を増やしアルツハイマー病の症状を軽減させる可能性がでてきた。((株)先端医学生物科学研究所)


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 画家が受けたストレス、精神疾患の兆候

 靉光:幼少期に母親と離別。
 佐伯祐三:結核を患う。
 小林寿永:18歳の頃、殺人事件での容疑者として過酷な取り調べを長期的に受ける。
 村上肥出夫:放浪。二度の出火後、精神を病んで長期入院。
 彼末宏:―――
 今西中通:極貧。結核を患う。
 朝井閑右衞門:「『エカキが長い間絵の具をもたぬと、キチガヒになるとかと・・・・』」、牧野の前に現れた朝居閑太郎は着る物も靴もボロの姿であった。幼少期における猫殺し。躁鬱的行動。
 鈴木保徳:―――
 依岡慶樹:大病を患う。
 国吉康雄:母親に対する恐怖。
 緑川廣太郎:生後約7ヶ月で母親と死別。
 香月泰男:幼少期に母親と離別。  
 全和凰:貧困と差別。
 荻須高徳:佐伯米子との不倫、そして、米子の夫である佐伯祐三の不可解な死。 
 萬鉄五郎:幼少期、母親が死去。結核を患う。
 林武:優秀な家系。極貧。幻聴があったことを述べている。
 佐伯米子:足の障害と過保護。夫殺害。
 古沢岩美:9歳の時、母親と死別。夜中に作品を描いている時、幻覚を見ることがあると述べている。
 田中保:シアトル時代の暗い絵画。結婚後の明るい絵画。これは、鬱状態と躁状態によるものである。
 跡見泰:―――
 満谷国四郎:―――
 岩佐又兵衛:幼少期に父親が虐殺される。又兵衛は命さながらに逃げ延びる。
 池田満寿夫:特殊な幼少期。
 小林孝至:遺伝的要因と父親から受けた恐怖。幼少期に幻覚があった。抗精神病薬の服用履歴がある。
 モディリアーニ:「貧困と持病の肺結核に苦しみ、大量の飲酒、薬物依存などの不摂生(ただし飲酒については肺結核による咳を抑えるためしかたなく飲んでいたと言われる)の末、1920年1月24日に結核性髄膜炎により35歳で没した。」(Wikipedia)
 ピカソ:絵画の天才。出生時、しばらく仮死状態であった。「青の時代」と「バラ色の時代」、これはピカソの「鬱の時代」と「躁の時代」である。
 マティス:―――
 ムンク:5歳の時、母親が死去。
 ゴッホ:母親に疎んじられた。
 セザンヌ:「1890年代後半から次第に評価を得るようになり、晩年期には高額で絵画が取引されるようになったものの、糖尿病など健康状態が悪化。精神状態も不安定になり、対人関係が困難となった。」・・・以前、ストレスが累積されていた可能性がある。
 ギュスターヴ・モロー:―――
 ルーカス・クラーナハ:―――
 ヘールトヘン・トット・シント・ヤン:―――
 レオナルド・ダ・ヴィンチ:芸術・科学における天才。


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 終わりに

 当初、靉光作品を調べると、そこには次の特徴があった。

 ・制作した画家にだけしか分からないような隠し絵がある。
 ・多重視(二重像など)といえるものがある。
 ・作品を回転してみると、別の像が出現する。

 そして、彼末宏、高間惣七、満谷国四郎、正宗得三郎の作品にも同様の特徴があることが分かった。
 続けて、萬鉄五郎、跡見泰、・・・の作品を調べると、そこにも同様の特徴があった。
 さらに、驚くことに江戸前期の画家岩佐又兵衛、岩佐勝重の作品にも同様の特徴があった。

 海外作家については、あまり調べてはいないが、モディリアーニ、マチス、ムンク、ピカソ・・・にも同様の特徴があった。

 つまり、時代、内外にかかわらず、これらの作品に同じ特徴があるということは、画家の精神に同じ問題があるということによる。その精神に問題があるということは、すなわち脳に障害があるということである。
 ここにあげた画家のほとんどが幼少期には不幸な時代をすごした。
 これは、幼少期の劣悪な環境が脳に障害を及ぼすということである。


 参考文献

 「アンドレ・ブルトン 魔術的芸術」(巖谷國士監修、巌谷國士・鈴木雅雄・谷川渥・星埜守之訳、河出書房新社)

















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 資料




 網谷義郎

 網谷義郎「二人飛ぶ」(1961年、梅田画廊取扱、個人蔵)



 網谷義郎「母と子」(1961年、個人蔵)



 網谷義郎展解説

 神戸市を拠点に長く「人」を描き続けた画家・網谷義郎(あみたに・よしろう)(1923年〜1982年)の最初期の作品群を紹介する展覧会が28日まで、群馬県桐生市小曽根町の大川美術館で開かれている。
 厚い絵肌の上に、時には岩に、時には昆虫に見えるような誇張をほどこした人物像がコラージュとして張り付けたかのように描かれる。色彩も抑えめで、顔の造作も定かではない。そんな1959〜1964年の油彩や素描約70点が並ぶ。
 抽象全盛の時代に、要素を削れるだけ削り、かろうじて残った人の痕跡にも見える。そこに、ささくれだった気持ちの叫びや、対極ともいえる親子の情感などが浮上する。感情だけが存在する画面なのかもしれない。
 後年、より具象的でより明るい人物像を手掛けたというが、この最初期の表現を突き詰めていたら、どんな画家になっていたのだろうか、と夢想させる。(朝日新聞学芸部大西若人)

 
 網谷義郎(あみたによしろう) 履歴

 初期には風景を描いたが1953年頃より人物を主なモチーフとし、キリスト教を思想的背景として人の存在を見つめた作品を描き続けた。 最晩年には画題そのものをキリスト教に求めた作品を残している。

1923年 兵庫県武庫郡に生まれる。
1947年 京都大学法学部在学中、法学を学ぶことに疑問を抱き、新制作協会会員桑田道夫を訪れ絵を学び始める。
1948年 京都大学法学部卒業。小磯良平に師事する。第1回関西新制作派展で受賞。
1955年 第19回新制作展新作家賞受賞。
1959年 第24回新制作展協会賞受賞。
1960年 新制作協会会員となる。
1982年 神戸にて逝去。享年58歳。

 主な所蔵美術館

兵庫県立近代美術館
玉川近代美術館
大川美術館


 パウル・クレー

 パウル・クレー「座する少女」(「パウル・クレー 絵画と音楽」アンドリュー・ケーガン著、西田秀穂・有川幾夫訳、音楽之友社)

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