屋根裏部屋の美術館
贋作

 はじめに
 美術品の収集で避けて通れないのは贋作という問題である。
 なかにはすばらしい贋作者もいるようだが、他の人の作品に巨匠のサインを入れて作る場合が多くある。
 ここでは、その人達の手口を紹介する。
 この贋作制作者は、京都在住古物商(ヤフーオークションI.D.chisato1974)である。この古物商は、出品されるときはそのI.D.をkaita1919(yoshida kaoru)と変えていた。


 出品者I.D.kaita1919に対する評価
 評価に次のような記載があった。

 「何故古い絵なのに、サインを触ると指に色が付くのでしょうか?他の部分は付きません。額を変えようと思い絵を出したら、たまたまサインに触れ、その部分だけ色が落ちました・・・。不思議です。(ヤフーオークションI.D.hcxkm132)」

 
 野口謙蔵

 はじめある出品者(ヤフーオークションI.D.good8508art)よりサインなしの作品が作者不詳として出された。この作品は贋作制作者(ヤフーオークションI.D.kaita1919)が落札し、その後、信頼できる出品者、古物美術商物故堂より、野口謙蔵の作品として出品された。その時は、野口謙蔵のサインが入っていた。
 念のため、作者不詳で出品された方(ヤフーオークションI.D.good8508art)に問い合わせ、サインは後から書き加えられたものということを確認した。

 @ サインなしの作品
   ★作者不詳 「風景」 板に油彩4号★ (終了2005年11月12日)


 出品者(good8508art)による作品紹介

 サイズ:24X33、サインなし、ちょと見では、子供のような絵ですが、月の光をバックに小高い丘の木を描いたおもしろい作品です。


 A サインを書き加えられた作品
   [物故堂] 野口謙蔵・風景・4号板に油彩(終了2005年9月18日)






 出品者(古物美術商物故)による作品紹介

 この絵はある知り合いからの紹介で絵を見て欲しいと言われ、出来れば買取を希望された為に、買い取った作品です。無論鑑定などは受けられずに持ち込まれたものであり、私が面白いと判断しただけのことです。サインから判断すると野口謙蔵です。時代から筆のさばき方や色彩等から判断しても野口謙蔵かと思われますが、もう一歩踏み込むと野口謙蔵にしては少し垢抜けしています。ハイカラです。確かに野口らしい点、即ち一筆描きの部分が多く非常に判断が難しい作品です。少なくとも私は研究材料として面白い作品と判断して居ります。


 前衛画家 瑛九

 はじめある出品者(ヤフーオークションI.D.lifetec_jp)からオークションに出されたときは、右下にサインがあった。
 そしてこの贋作制作者より出品されたときは、右下にあったサインは消され、左下に瑛九のサインが書き加えられ、木枠と裏地は時代感がするものとなっていた。
 
 @ 最初の作品 「☆上品なお花☆油絵2枚セット!木の額縁付き」(出品2005年9月12日)

 落札価格は2枚で1,500円であった。これは、京都在住古物商(ヤフーオークションI.D.chisato1974)が落札した。




 出品者による作品紹介

 とても繊細なお花の油絵です。一般の方の作品ですが、個展などもされているそうです。とても上品な印象の作品です。

 A サインを瑛九に書き換えられた作品
   [薫] 瑛九・花・油彩画(出品日2005年12月24日)
 
 その後、その古物商は出品時そのI.D.をkaita1919(yoshida kaoru)と変え、画家のサインを書き換えていた。







 出品者による作品紹介
 御覧の通りの作品です。素敵な絵だと思いますので宜しくお願い致します。[支持体・キャンバス]・[技法・油彩]・[サイズ・サムホール]・[額装]・[鑑定書・未鑑定の為無し]・[状態・良好]・[表面にはサイン・裏面木枠に署名年代記載有り]・・・・いくらになっても処分しますのでクレーム無しで返品はご容赦ください。宜しくお願い致します。


 B 美術商から出品された作品 
   【H】天才芸術家「瑛九」希少な傑作油彩作品/東美鑑定書付(出品日2006年12月25日)

 そして、この作品はしばらくして東京美術倶楽部の鑑定証書付きで信頼できる美術商から出品された。その時の値段は、開始価格で65万円であった。




 
 終わりに

 
単に作品の質で真贋を論議できないことが分かる。これらはともに作品としては非常によいものである。
 
 履歴

 瑛九 (Q Ei えいきゅう) 本名・杉田秀夫

1911年 宮崎県宮崎市に生まれる。
1925年 宮崎県立宮崎中学を一年で退学。上京して日本美術学校に学ぶ。
1927年 15歳で美術評論を雑誌「アトリエ」、「みづゑ」に発表。
1930年 写真に熱中し、フォト・グラムの試作をはじめる。 
1936年 フォト・デッサン作品集『眠りの理由』を発表する。前衛美術界で注目を浴びる。
1937年 自由美術家協会の結成に参加する。
1951年 「デモクラート美術家協会」を結成する。靉嘔、池田満寿夫、磯辺行久、河原温、細江英公ら若い作家に大きな影響を与えた。埼玉県浦和市に移住する。銅版画の制作に取り組む。
1952年 久保貞次郎等と「創造美育協会」結成する。
1956年 リトグラフの制作に取り組む
1959年 油彩点描による大作の制作に専念する。
1960年 死去。享年48歳。


 メモ

吉田薫
京都市北区衣笠街道町32-1-504
inserted by FC2 system