屋根裏部屋の美術館

小糸源太郎 「蘇った東京」


  はじめに

 小糸源太郎は、東京の風景を数多く描iいた。当美術館「屋根裏部屋の美術館」所蔵の小糸源太郎「蘇った東京」を紹介する。

 小糸源太郎 こいとげんたろう 1887-1978年

1887年(明治20年) 東京の下町、下谷区上野元黒門町(現台東区上野池之端)に生まれる。
              17歳のとき藤島武二の作品に魅せられて、画家になることを志したという。
1905年(明治38年) 東京美術学校(現東京芸術大学)金工科に入学
1910年(明治43年) 第4回文展に初入選
1911年(明治44年) 改めて東京美術学校西洋画科に入学する。
              昭和初頭頃の作品は、中国院体画風の細密描写による静物画を主としていた。
1954年(昭和29年) 日本芸術院賞受賞
1965年(昭和40年) 文化勲章を受章
1978年(昭和53年) 死去。


 作品「蘇った東京」(仮題、屋根裏部屋の美術館蔵)



 この作品は、戦後の東京を描いたもので、小さな家々が数多くある。
 太平洋戦争は、多くの人々が歓喜して始まった。人々は、新聞、映画での勝ち戦の報に酔いしれた。
 しかし、1944年11月-1945年8月(昭和19-20年)、東京大空襲と呼ばれる約120回の空襲により首都の4分の1近くが焦土と化した。成人男性の多くは徴兵されていたため、犠牲者の大半は女性や高齢者、子供であった。投下されたナパーム弾はゼリー状のガソリンが飛び散り、人や家屋を焼き尽くすものであった。1945年(昭和20年)終戦。人々は粗末な着物を着て、バラック小屋に住んだ。飢えに苦しみながら、絶望感あるいは虚無感を抱きながら生きていた。東京の下町には独特の伝統があったが、それらの多くが東京大空襲で灰となった。
 しかし、1948-1949年(昭和23-24年)頃より日本は復興し始めた。さらに北朝鮮と韓国との戦争による朝鮮特需と呼ばれるものにより、日本は驚異的な発展を遂げた。1951年(昭和26年)には、景気は戦前の水準を取り戻した。高い建物よりふと見たこの風景は、東京が復活した喜びを感じるものである。その喜びは、東京をこよなく愛し、そしてそれを失い、また手にした者だからこそ強く感じるものである。

 感動した風景。それには個人差がある。明治、大正そして昭和と生きてきた小糸源太郎は、金融大恐慌、関東大震災そして太平洋戦争など数々の苦境を経験してきた。東京に生まれ、東京で育った小糸源太郎には、昭和23-25年頃のこの景色が原風景として残ったのである。この風景は、東京に生まれ、東京を愛し、戦前、戦中そして戦後を生きた人が感動した風景である。それは、戦争を体験した人のみが強く感動する絵画である。


 作品「屋根の都」(明治44年、東京芸術大学大学美術館所蔵)



 戦争によりこの絵画に描かれていた風景がなくなった。この風景を愛した人が、戦後蘇った東京の風景に感動したから、作品「蘇った東京」が作られたのだ。


 作品「春雪」(田園調布駅前風景、1953(昭和28)年、県立静岡美術館蔵)



 この絵画には先の作品「蘇った東京」と同じように空には希望を感じるような朝焼けが見られる。


 終わりに

 戦争の初期、多くの人々は新聞、映画による勝ち戦の報に酔いしれた。そして敗戦。その後の驚異的な復興。画家には、この「蘇った東京」に胸にじわっとくる感動があった。


 履歴及び時代背景

1887年(明治20年) 東京の下町、下谷区上野元黒門町(現台東区上野池之端)に生まれる。
1894-1895年(明治27-28年)日清戦争。日本が勝利。
1904-1905年(明治37-38年)日露戦争。日本が勝利し、南満州の鉄道経営権などを得る。17歳のとき藤島武二の作品に魅せられて、画家になることを志したという。
1905年(明治38年) 東京美術学校(現東京芸術大学)金工科に入学
1910年(明治43年) 日本が韓国を併合する。第4回文展に初入選
1911年(明治44年) 改めて東京美術学校西洋画科に入学する。
1914年(大正3年) 第一次世界大戦始まる。
1915年(大正4年) 日本が対華21カ条要求を出す。
1923年(大正12年) 関東大震災。関東地方南部を襲った大地震により、死者・行方不明14万2千8百名、全壊建物12万8千棟、全焼建物44万7千棟という未曾有の大災害がもたらされた。
昭和初頭頃の作品は、中国院体画風の細密描写による静物画を主としていた。
1928年(昭和3年) 日本軍、張作霖を暗殺する。
1929年(昭和4年) ウォール街株式市場で大暴落。
1931年(昭和6年) 満州事変起きる。日本軍、中国東北部で武力行使。
1932年(昭和7年) 満州国の建国を宣言。
1937年(昭和12年) 盧溝橋事件。北京郊外で日中両軍が衝突。日中戦争始まる。日本軍は暴支膺懲(ぐしようちょう。悪い中国を懲らしめるの意)と称して中国の領土を侵略し始める。
1940年(昭和15年) 日独伊3国同盟に調印。
1941年(昭和16年) 日本軍が南部仏印(今のベトナム)に進駐。 
1945年(昭和20年) 東京大空襲。広島に原爆投下。ソ連が対日宣戦を通告。長崎に原爆投下。終戦。
1948-1949年(昭和23-24年) 日本経済が回復し始める。
1950-1953年(昭和25-28年) 大韓民国と北朝鮮の武力衝突を朝鮮戦争が起きる。日本は朝鮮特需を受ける。
1954年(昭和29年) 日本芸術院賞受賞
1965年(昭和40年) 文化勲章を受章
1978年(昭和53年) 死去。
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