屋根裏部屋の美術館

村上肥出夫 光のなかに

 はじめに

 当美術館「屋根裏部屋の美術館」が所蔵する村上肥出夫の作品「荒川風景」(仮題)、作品「少女達」(仮題)および作品「室内の少女」を紹介する。
 彼は20歳で画家を目指し上京し、放浪の中で絵画の勉強を続けた。荒川の鉄橋下に寝起きし、ラーメン屋の出前、サンドイッチマン、沖仲仕などをしながら絵を描いて、それを銀座の街角で売っていた。
 彼は、銀座並木通りの路上でスケッチ をしている時に彫刻家、本郷新に見出され、「画壇のシンデレラボーイ」と称され華々しい 活躍をした。
 ここで紹介する作品「荒川風景」は、そのような時期に希望を失いかけていたとき描かれたものである。ただし、作品としては好きになれないものである。
 また、作品「少女達」はあまりにも質の悪いものであり、同様に、作品「室内の少女」も質の高いものではない。


  村上肥出夫 むらかみひでお (1986〜    ) 

 すばらしい色彩 作品「自画像」(個人蔵:K氏 K氏については不明)

 
 
 川端康成氏が生前「心力と勇気を私に伝える絵」と絶賛した放浪の画家。
 27歳にして路上の絵描きが画壇の寵児となり、「ゴッホの再来」、「画壇のシンデレラボーイ」、「放浪の天才画家」、「色の魔術師」などと言われるようになった。

 「村上君は時には詩を書く、時には天才的なデッサンを描く、そして何を考えて生きているんだか、私には見当が付かない。一種の出来損ないであるのか、それとも天使のような人間であるのか、とにかくつきあいにくい。しかし笑った顔は以外に純真である。そして作品はこの上もなく強烈である。」(小説家石川達三)


 「パリの舗道で」(村上肥出夫著)

 彼の自書「パリの舗道で」(彌生書房)には、彼の繊細な精神が見られる。美しい世界、不安に満ちた精神状態。
 彼は社会不安障害を抱えていた。

 「お母さん。僕はもう四十歳になりました。子供のような大人、大人のような子供。と言うよりは大人にもなれない子供でもない人間、と言った方が正しいかも知れません。あなたから見たら、一つの憧れ、一つだけの夢にすがりついている僕なんかちっぽけなものに見えるでしょうね。
 パリは、この四月から五月にかけてが一年中でいちばん明るく美しい季節です。もうすぐマロニエの白い花が咲きます。」 

 「・・・進駐軍のいる間は、東京での放浪時代で一番楽しく、苦しみを知らない、安易な生活だったように思われます。でも、それはその後に来るべき極度に不安な状態までの束の間に体験といったものでしたけれど・・・・。」


 作品「驚き」(仮題、ロイドワークスギャラリー取扱、個人蔵)



 この作品「驚き」(仮題)からも彼の精神状態が分かる。人形が驚いていると同時に、この人形を見ている画家も驚いている。正確に言うと驚いているのは画家だけである。


 社会不安障害(SAD)

 対人恐怖症は社会不安障害(SAD)という精神疾患の一種である。これは脳内にあるセレトニンという神経伝達物質の伝達系の異常により起こる。

 精神疾患とは脳の病気である。そして、精神疾患といっても色々な種類がある。チック症、過呼吸症等も精神疾患である。 この屋根裏部屋の美術館で取り上げる画家には、主として統合失調症(精神分裂病)および双極性感情障害(躁鬱病)に見られる症状がある。
 また、統合失調症および双極性感情障害は、医者がその病名を判定するとき厳密な判定基準があり、それらを満足するものでなければならない。しかし、同一患者を何人かの医者に診てもらった場合、診断結果はまちまちなことが多くある。まして、医者でもない私が画家の精神疾患について診断することはもってのほかであり、たとえそれが当たっているとしても問題がある。
 しかし、天才画家と言われるような画家の多くは精神疾患を抱え、そのことが作品に強い影響を及ぼしていることは確かである。
 また、絵画についてその歴史的背景、精神的背景、技術的レベルなどを知らないと絵画について批評は出来ないはずである。 
  1. 天才と呼ばれる人の多くは精神疾患を患っている。そして、精神疾患の多くは遺伝が重要な要因である。特に統合失調症は遺伝的要因がないと起きない。
  2. また、幼小期の育児環境も大きな要因となる。
  3. 成人になってから、ストレスが引き金となり発病する。
  4. 「ある時期精神を患った」ということは、「以前より精神に問題がある」ということである。それは、幼少期からである。
  5. 画家はたんにひとの作風をまねして描いているのではなく、自身の自ら感じたものを描いている。それは、幼少期に作られた感情を元にしている。
  6. 精神疾患がある場合は、それが作品に現れる。
 そして、この「精神疾患がある場合は、それが作品に現れる」とは、次のようなものである。
  1. 夜に生きているような感覚、または暗いトンネルを抜け出てきたときに感じるまぶしい世界。→異常に暗い色彩、または異常に明るい色彩。
  2. プリズムを通して見たような色彩
  3. 歪み・揺れ。
  4. 極彩色。
  5. ぼやけた輪郭。
  6. 繰り返し現れる斑点。
  7. 非常に力強い立体感。さらに症状が進むと、壁から手が生えているように感じることもある。人の顔が歪んで見えたり、崩れだしたように見える。
  8. エコーが掛かったように聞こえる。ただし、エコーについては、当然絵画には表れない。
  9. 幻聴。これは、耳をふさいでいる人が描かれることがある。
  10. 他人に操られているというような感覚。あるいは自分を演じていると言う感覚。これは、絵画には仮面をかぶった人および操り人形として描かれる。
  一部の精神疾患には幻覚以外に色彩感覚の異常も起きる。
  そして、その画家の履歴および自画像には次のような特徴がある。
  1. 精神疾患を抱える親類がいる。
  2. 幼少期は寂しい環境の元で暮らす。不幸な環境。
  3. 小児期は、絵を描くことが多いなどの内向的な傾向がある。
  4. 二十歳前後に奇行が見られる。
  5. 放浪がある。または、社会から離れて制作に没頭する。
  6. 頭がよい。
  7. 非常にまじめ。大胆・豪快。(双極性感情障害の患者の性格)
  8. 奇妙な思考。(統合失調症の患者の性格)
  9. 迷いが生じ、自分自身の作品を作り上げることに何年も悩む。
  10. 非常に強いストレスがあった。
  11. 自殺願望がある。
  12. 酒におぼれる。
  13. 精神に変調をきたす。
  14. 顔に表れるストレス。
 これらを総合的にみて、画家に精神的な問題があるかどうかを判断する。 


 彼の精神状態

 ここに取り上げる3枚の作品には、彼の問題となる精神状態が見られる。
 作品「荒川風景」(仮題)には、精神に問題がある人に見られる色彩感覚の異常がある。褐色のフィルターを通して、彼は世間と接していた
 作品「驚き」(仮題)には、人形に驚く作者がいた。
 作品「少女達」(仮題)には、パンツがずり落ちた少女が描かれている。
 この3枚の作品には、彼の危うい精神状態が見られる。
 そして、彼の履歴には、「・・・。それから年月が流れ1997年、自宅アトリエが全焼。翌年再び居間が焼けるという災厄にあい、村上は精神を病んで入院。画壇から姿を消しました。聞くところでは、病状は回復ということですが」というものがある。
 

 作品「荒川風景」(仮題、ロイドワークスギャラリー取扱、屋根裏部屋の美術館蔵)



 川に船が見えるが、褐色のフィルターを通して見ているようである。
 絵画への取り組みが書かれた一文がある。
 「自分を慰め、自分の心をおちつかせるためのものとして、あきらめのような気持ちで、もくもくと絵を描いていたのです。」

 この「屋根裏部屋の美術館」のひとつのテーマである「精神疾患がある人のものの見え方」を的確に示している。


 作品「少女達」(仮題、汚れあり、ロイドワークスギャラリー取扱、屋根裏部屋の美術館蔵) 



 少女達が描かれている。左側のには二本の足とずり下がったパンツが描かれている。
 また、画家の色彩感覚には問題がある。


 作品「船」(仮題、1974年、ロイドワークスギャラリー取扱、個人蔵)



 この作品の制作年は1974年である。作品「少女達」(仮題)の制作年は、この作品のそれとほぼ同じと考える。


 すばらしい色彩 作品「夜の観光船」(SBIアートフォリオ取扱、個人蔵)

 

 村上肥出夫の絵画の特徴は、その色彩感覚の異常である。そして、ある時期には、すばらしい色彩の絵画を生み出す。それは、まさにプリズムを通して見たような絵画である。


 「船がくるぞ」

作曲:森田童子
作詞:森田童子

ネェ君
寒い夜の海を泳いで
みませんか
息がハッハッ つまりそうだ
体ジンジン しびれる
時々燈台のひかりが
ぼくを照らしてくれる
ぼくは
孤独に
クロール クロール

ネェ君
遠く霧笛が聞こえ
ませんか
大きな旅客船くるぞ
船の上で 誰か 手をふっている
クリスマスツリーのよう
キーラキラキラ 目がくらむ

ぼくは
水にもぐって
クロール クロール

「語り」
ああ
なんて 明るいんだ!

まるで
夏休みの
臨海学校の
新しい
シーツをかぶった時みたいだ

ネェ君
夏の海へ行って
みませんか
船がぼくを越えてゆく


明るいクラクラ目が痛い
ここは夏の昼下り
砂浜も遠くも見えるぞ
ばくは
夏に向かって
クロール クロール

ネェ君
去年の海へ行って
みませんか
君が浜辺にねそべって
ぼくはサングラスをとる
浜ナスの花も咲いてる
ああ とても暑いネ
ぼくは
きみとならんでーェ
クロール クロール

「語り」
ああ
なんて 暗いんだ!
ぼくは
ずっとひとりで
夜を歩いていたのですネ


ネェ君
夏の海が動いて
ゆくヨ
船が旋回しているヨ
まるで夕立雲みたい
夜と昼が二つに割れて
夜にとり残された

ぼくは
孤独に
クロール クロール
「語り」
ああ これで真暗です


 すばらしい色彩 作品「ムーラン・ルージュ」(個人蔵)




 作品の真贋

 作品「自画像」および作品「夜の観光船」を観れば、村上肥出夫が巨匠であることはすぐに分かる。
 しかし、作品「少女達」のレベルは、中学生の平均以下のものである。この作品は、真作なのかという疑問を持つ方が多いと思うので、これについて説明する。
 作品「驚き」、「荒川風景」、「少女達」および「船」は、ロイドワークスギャラリーの取り扱い絵画である。ロイドワークスギャラリーは、インターネットでの絵画販売を主としている。この画商は、零細画商といえるものであるが、非常に良心的であり、贋作が多いインターネットでの代理出品業者とは違う。
 そして、これらの絵画はロイドワークスギャラリーの真作保証となっているものである。
 また、この画商は村上肥出夫の絵画を幾度となく取り扱っていて、村上肥出夫はこの画商の取り扱い作家の一人である。

 ロイドワークスギャラリー:27歳で画商(絵の取引)の仕事を父親の会社から独立した。所持金12万円から個人事業ではじめて、2005年8月に事務所を設ける。交換会(ディーラーズオークション)等で絵画を入手し、そしてそれを販売している。

 この作品が、真作という理由は下記のとおりである。

 作品「少女達」
・ ロイドワークスギャラリーが真作保証と言っている。どう考えても非常に安価となるような作品を真作保証と偽り信用を落とすような馬鹿なまねはしない。
・ 村上肥出夫の作品数点がほぼ同時期に出品された。これは、村上肥出夫のコレクター関係の方から出たものと考える。
・ 最初に作品「驚き」を観たが、この作者は人形に驚いているような感じがした。また、この画家について調べると、精神に問題がある人がとる行動「放浪」があった。その後、作品「少女達」が出品された。作品には色彩異常があり、精神的に問題がある画家の作品である。つまり、村上肥出夫の作品である可能性が更に強くなる。
・贋作作成者は、このような作品を村上肥出夫のものとして制作しない。知られている作風と比較してあまりにも違いすぎる。贋作作製者ならもっとましな作品を作るはずである。また、精神に問題がある画家は非常に問題のある絵画を制作する。
・「驚き」は、少女の人形である。このような絵を描くのは、娘さんがいて、娘さんが持っている人形を描くか、あるいは少女の人形に興味があるかである。たぶん、少女の人形または少女に興味があるかのどちらかと考えた。
・この絵画を購入した後、「パリの舗道で」(村上肥出夫著 彌生書房)を見て、表紙に描かれている少女への視線がパンツへと向かっているような気がした。この絵画の作者と同じ嗜好の持ち主である。

 そして、同様に作品「荒川風景」については次のように考える。
 作品「荒川風景」
・ ロイドワークスギャラリーが真作保証と言っている。
・ 村上肥出夫「高速道路」と同じように、構図にはやや誇張感とともに爽やかさを感じる。
・ 村上肥出夫「Tokyo」と同じ色彩感覚である。

 以上より、この2作品は真作と考えた。


 作品「室内の少女」(布にペンと彩色、インターネット絵画販売・絵画卸し木村美術kmi_auction取扱、屋根裏部屋の美術館蔵)



 作品解説

 天才画家村上肥出夫が描いたものである。少女の顔は分かるが、後は何が描かれているかは凡人の私には分からない。

 終わりに

 作品「自画像」(所有者:K氏)および作品「夜の観光船」(所有者不詳)の質は、すばらしいもので、たんに技術の模倣だけではなしえないものである。彼がゴッホの再来といわれた根源は、彼の問題とも言える精神からである。

 作品「荒川風景」および作品「少女達」には、それほど芸術性があるとは思えないが、彼の多くの芸術作品の精神的背景がよくを分かるものである。
 作品「荒川風景」および作品「少女達」は、作品「驚き」と比較して、作風において共通点はない。しかし、精神的脆弱性という共通点が見られる。
 
 放浪という行動は精神的脆弱性から起きる。また、統合失調症は、思春期から20歳代半ばにかけて発症する。彼が放浪の旅に出たのは二十歳の時である。
 ただし、当時、彼が精神を病んでいたかどうかは分からない。その兆候があると言うことである。
 彼の履歴、「1997年、自宅アトリエが全焼し、翌年再び居間が焼けるという災厄にあい、精神を病んで入院し画壇から姿を消した」というのも彼の若いときから精神に問題があったことを示す。
 とにかく、繊細な神経の持ち主だったことが分かる。


 履歴

1933年 岐阜県に生まれる。
1953年 放浪の旅にでる.
1961年 彫刻家本郷新氏の目に止まる。
1963年 主にパリに住んで絵画制作をする。
1975年 「村上君は時には詩を書く、時には天才的なデッサンを描く。そして何を考えて生きているんだか、私には見当が付かない。一種の出来損ないであるのか、それとも天使のような人間であるのか、とにかくつきあいにくい。しかし笑った顔は意外に純真である。そして作品はこの上もなく強烈 である。」 (石川達三)
1997年、自宅アトリエが全焼。
1998年 再び居間が焼けるという災厄にあい、精神を病んで入院


 参考文献

 「パリの舗道で」 村上肥出夫著 彌生書房


 村上肥出夫 その他の作品

 作品「ピエロ」(インターネット絵画販売・絵画卸し木村美術kmi_auction取扱、個人蔵)

 

 村上肥出夫「少女」(兜屋画廊取扱、個人所有)







 ロリータコンプレックス

 ロリータコンプレックスは、「自分が大人になることを拒否したり、成人した女性に対する気後れや恐れが原因となっている」と言われている。
 「気後れ」というマイルドな感覚は、本質には基本的な感覚である恐れ、つまり恐怖がある。
 
 作品「驚き」を見たとき、藤田嗣治の作品が思い浮かんだ。そこに共通する感情はひとに対する恐怖である。二人に共通することは怖い父親の存在である。
 藤田は、戦争画を描いて戦後日本を追われた。その戦争画は、非常に悲惨な状況が描かれていたが、彼は喜びながら描いたとの解説がある。
 作品「ニューギニア戦線」について次のような記載がある。

「画家はこういう地獄図を描きたかったんだとばかり、画面に食らいついている。絵筆が嗜虐的で、パリのフジタが狂いはじめている。」(「絵かきが語る近代美術」菊畑茂久馬著、弦書房)

 幼少期に恐怖を味わうと、ひとより恐怖を感じやすくなり、その恐怖を押し殺す性格か、またはその恐怖から逃げる性格となる。
 戦争画を描くとき、彼の無意識下は恐怖で凍りつきながら、意識化ではそれに「打ち勝つ行動」を取っているのである。
 その藤田に対して、村上は「逃げる行動」を取っていた。この違いは、村上には母という「逃げる場所」があったからと考える。
 そして、二人とも少女に対しての興味が強くあったと考る。それは、少女はあまり怖くないからでるあ。しかし、少女からも多少の恐怖を感じていたようにも思える。

 藤田嗣治「自画像」(1921年制作)



 「幼くして母を失い、周囲の子供と遊ぶよりも一人で絵を描くことを好んだ少年は、長じても「孤独」の棘と甘さとを人並み以上に感じる心を持っていた。忍び寄る孤独を追い払うために乱痴気騒ぎに興じ、あえて大言壮語をすることで驚かせた。」(藤田嗣治/「藤田嗣治 異邦人の生涯」近藤史人著、講談社文庫)

 藤田嗣治「薔薇を持つ少女」



 少女からは、多少の怖さが感じられる。
 また、彼は少女の裸も描いていた。

 彼の父は、陸軍一等軍医(後に陸軍軍医総監)で厳格な人であった。また、彼の母は彼が5歳の時に亡くなっている。・・・彼は、父を恐れていたと考える。もし、恐れを感じながら育った場合は、彼の深層心理に大きく刻み込まれていったはずである。
 
 彼の戦争画は、彼が恐怖を感じなかったから描けたものである。
 「恐怖を感じない」、それは「恐怖」を無意識下に押し留める習慣があるからある。

 「一億国民はことごとく戦争に協力し、画家の多数のものも国民的義務を遂行したに過ぎない。」(藤田嗣治)

 藤田嗣治「小さな職人たち モデル」(1960年)

 

 村上肥出夫との共通点。それは、「少女」に興味を持ったことである。ロリータコンプレックスというより、大人になれないアダルトチルドレンか?または、ロリータコンプレックスとアダルトチルドレンは同じ精神にあるのだろうか。
 二人とも、幼小期に父親に対する恐怖があったのではないだろうか。

 藤田嗣治「Enfants Et Poupe」(リトグラフ、屋根裏部屋の美術館蔵)



 黒い服を着た女性(姉)に抱かれている子供が藤田嗣治である。
 藤田は女装の趣味があったが、これは幼少期に姉に女の子の服を着せられていたことがあった為と考える。
 また、白い服を着ている女性は存在感はなく、この女性が亡くなった母親と考える。
 そうすると、黒色の服は喪服である。

 藤田は、生涯にわたり、死別した母親の写真を肌身離さずに持っていた。藤田の心を占めるものは孤独である。

 藤田嗣治「二人の子供と鳥籠」(1918年)



 この作品が1918年のものなら、作品「Enfants Et Poupe」も1918年頃のものである。

 藤田嗣治「−」(画集より)



 藤田が心安らぐとき、それは、女の子の服を着せられ姉に抱かれているときであった。
 ここには、姉はいないが・・・。

 藤田嗣治(ふじたつぐはる) 履歴

1986年 東京都牛込区新小川町に4人兄弟の末っ子として生まれる。
5歳にの時に母を亡くす。6歳の頃から絵を描き始める。
1900年 パリ万国博覧会に水彩画を出展。
1907年 東京美術学校(現在の東京芸術大学)西洋学科に入学する。
1912年 女学校の美術教師であった鴇田登美子と結婚する。
1913年 フランスへ渡り、ピカソ、モディリアニらと交流する。このころ、髪形をトレードマークとなるおかっぱ頭にした。
1917年 フランス人モデルのフェルナンド・ヴァレーと2度目の結婚をする。
1919年 サロン・ドートンヌに6作品を出品し、すべてが入選する。
1925年 ベルギー政府よりレオポルド勲章、フランス政府からはレジオン・ドヌール勲章を受ける。
1929年 ユキを連れて17年ぶりに日本に帰る。
1931年 カジノの踊り子マドレーヌを連れて南米に行く。
1933年 帰国する。
1936年 君代と結婚する。
1949年 戦争協力者として日本にいられなくなる。
1955年 フランス国籍を取る。
1968年 チューリッ州立病院で死去。


 「藤田嗣治 あの乳白色はベビーパウダー」(ポーラ美術館内呂学芸員/読売新聞)

 「優美な裸婦などを描き、乳白色の絵肌で知られる画家・藤田嗣治が、戦時中の作品で日本製のベビーパウダー『シッカロール』を画材に用いていることが分かった。」
 「20年代の作品の表面からタルク(滑石)が検出されていた。」
  
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