屋根裏部屋の美術館

朝井閑右衛門 閑右衛門所蔵絵画

2005.8.12
中村正明
masaaki.nakamura.01@gmail.com


 はじめに

 双極性障害(躁鬱病)の人が躁的心情の時に描いた絵と鬱的心情の時に描いた絵では、作風が大幅に異なる。今までに知られている朝井閑右衛門の絵画は、ほとんどが鬱状態の時に描かれたものである。
 ここに取り上げる絵画は朝井閑右衛門が躁的心情の時に描かれたものである。
 
 彼の病名は双極性障害であり、そしてその躁的心情の時が彼がいちばん幸せな時であった。そして、その絵画は幸せにあふれるものである。



 朝井閑右衛門 写真 (写真右端)

 何となく暗く覇気がないように感じられる。
 「僕はどっちかというと、陽気な性分なんだ」と言った閑右衛門とは、別人のような写真である。
 それは、双極性障害は鬱状態と躁状態を併せ持つ疾患だからである。



 履歴


1901年 大阪府出身出身
1926年 「廃園に於いて」二科展入選
1927年? 「『エカキが長い間絵の具をもたぬと、キチガヒになるとかと・・・・』」、牧野の前に現れた朝居閑太郎は着る物も靴もボロの姿であった。・・・
1936年 「丘の上」が文展で文部大臣賞を受賞
1941年 永富花子と結婚
1942年 大森にアトリエを構える。このアトリエは、やがて戦時の強制疎開により取り壊しとなる。 長女祐子が生まれる。
1944年 次女三喜が生まれる。
1945年 単身で上海に赴く。
1947年 横須賀市田浦(田浦町4丁目54番地)に住むようになる。以後20年間一人で住むようになる。
1949年? 門倉芳枝さんが朝井閑右衛門に師事する。
1955年 入手作品「君子蘭」(サイン入り)
1966年 鎌倉に移り住む。
1983年 没

・・・朝井閑右衛門は、1945年頃より別居状態となりました。また、この実質的離婚した時期より、躁的心情より鬱的心情に変化し、作風が大幅に変化したと考える。・・・

 入手絵画について
 ここで取り上げる絵画はインターネットオークションで入手した、すべてサインがないものである。そして、現在朝井閑右衛門の作品を多く持っている横須賀市美術館開設準備室の石渡尚技幹学芸員および原田光美術館開設準備室長の意見では、閑右衛門とはまったく関係のない作品であると言われたものである。
@ 朝井閑右衛門は双極性障害ではない。
A 朝井閑右衛門の作風とは全く異なる。朝井閑右衛門とはまったく関係のない作品である。
 以上の2点が彼らの意見であった。
 しかし、はじめに私は朝井閑右衛門の作風とはまったく異なるのは、閑右衛門が双極性障害であり、この入手絵画の多くは躁状態のとき描かれたものであるという説明をしたのだが。


 所有絵画等 

 私は、朝井閑右衛門の作品「上海バンド」(東京美術倶楽部の保証絵画、画集「朝井閑右衛門の世界」(日動画廊)に取り上げられている絵画とは別バージョン)および「大阪画室」(真贋不明。ただし、真作に間違いがないものと考えてる)を所有している。
 また、所有はしていないが、ネットオークション出品作品「人形」(真贋不明。ただし、原田光美術館開設準備室長も閑右衛門作品の可能性が非常に高いと認めたもの)を見て、なぜこのように子供が描いたような絵画を制作するのか興味を持っていた。
 上海バンドは非常に美しい景色で有名であるが、作品「上海バンド」を見るとなにか明るさがなく、美しい景色に描かれていない。これは、画家の気持が晴れ晴れしたものではないからである。
 また、作品「大阪画室」には、気持ちが内へと内へと向かうものが感じられ、また、構図の取り方にも、閑右衛門独特の非常に変な癖とも言えるものがある。
 その後、横須賀市美術館(開設予定)のホームページにある多くの絵画を見て、閑右衛門は気分障害(鬱病)を患っていたと考えた。
 また、なぜ大の大人が「人形」のような子供が描くような作品を描くのかを考え続けていた。
 入手絵画 

1)作品「庭」3点および作品「薔薇」3点

 ある時、インターネットオークションで作品「庭」3点と作品「薔薇」3点を見つけた。そのうちの「庭」1作品と「薔薇」1作品は厚塗りのものである。
 そして、「庭」1作品の裏側には子供が描いた絵がある。
 厚塗りの薔薇の絵および子供が描いた人形のような絵を見たため、「朝井閑右衛門」の名前が浮かんだ。
 また、庭を描いた1作品(縁側を描いたもの)には鬱的傾向があるのを感じ、また、独特の構図(広角レンズを用いた写真のような)の取り方を感じた。
 このとき、私はこれらの作品の作者は朝井閑右衛門に間違いないと考え、入手した。 





  

  


2)水彩画

 その後、同一出品者より同一作家の水彩画があるということで、それらをすべて譲っ戴いた。そのなかには子供が描いた絵もあった。そのうちの1枚には母親が描かれ、もう1枚にはゴジラ(東宝 1954年)が描かれていた。
 
 

      

  

3)作品「果物と鉢植えの花」(仮題)および作品「少年」(仮題)
 
 さらにその後、同一出品者より同一作家のものということで、2枚の油彩画も入手した。静物画「果物と鉢植えの花」(仮題)の裏面には女性の顔が描かれている。この2作品の色調は、赤色と独特の紺色が特徴である。
 

 この女性の顔の絵を見て、原田光美術館開設準備室長にこれらは素人が描いた絵だと判断された。確かに、この絵画は素人画家が描いたようなものである。しかし、この絵画にも面白い点が見られる。それは、この絵画の上になにか置かれていた形跡があるのだ。

 「朝井閑右衛門 思い出すことなど」には、次のようなことが書かれている。

 詩人草野心平氏と閑右衛門は、大雅と蕪村についてでの喧嘩をしたことがあります。蕪村の嫌いな閑右衛門と言うことでしたが、ある日、閑右衛門の家で蕪村による「十便十宜画冊」を見た。私はびっくりして、「どうして−−−」ここに、このようなものがあるのかと思って、おそるおそる聞いたが、黙っていた。こういう時は追求してはいけない。次の日にはもうなかった。

 このようなことが描かれているが、閑右衛門は本人にとって恥ずかしいことは隠す習性がある。あくまでも、本人にとって、恥ずかしいことである。この絵画も他に人に見られたくなく、なにかで覆い隠されていたものと思う。

 また、私には今回入手した薔薇の絵は、ほかの画家のものよりよくできていると判断した。
 なお、朝井閑右衛門が描いた絵には、素人が描いたようなものが多くある。 


 この子供は、なにか心に問題がある。これは、画家が近所の「心に問題を抱えている子供」を連れてきて描いたのではなく、画家の子供時代の内面を描いたものである。
 「庭」および「薔薇」を描いた画家と、非常に明るい絵画(水彩画)を描いた画家とが同じ人だと言われ一瞬驚いた。しかし、「庭」を描いた画家に鬱的傾向があると判断したわけであるから、当然非常に明るい絵画(水彩画)に見られる躁的傾向が強く表れているものがあっても矛盾はない。矛盾どころか同じ画家である可能性が非常に高いと言うことである。
 それは、鬱症状を持つ人の多くには躁症状が出ることがあるからだ。それは、双極性障害と言う精神疾患によるものである。


 朝井閑右衛門作品との比較
 
 当初、これらの絵画を朝井閑右衛門の作品と言っても誰からも信じてもらえないものと考えていた。しかし、調べ始めたらすぐに閑右衛門との類似点が多く見つかった。その一つが、閑右衛門のお弟子さんが書いた「朝井閑右衛門 思い出すことなど」(門倉芳江著、求龍堂)の表紙に同じ庭を描いたと思われる絵が描かれていたのである。
 また、「薔薇」1作品は日動画廊より出された朝井閑右衛画集に載っている作品と同じような描き方のものもあった。
 そして、作品「果物と鉢植えの花」はその後他の出品者より入手した閑右衛門のサイン入り作品「君子蘭」(真贋不明 1955.7.10)と同様の色彩で描かれていた。この2作品は、「朝井閑右衛門 思い出すことなど」に「メモ」として収載されたものと同一の色彩組み合わせであった。
 
1)入手作品「庭」と「本の表紙」(「朝井閑右衛門思い出すことなど」門倉芳枝)の比較 
 

 同じ構造(柱が縁側床の外側にある。外には戸等がない)の縁側である。この作品「庭」については書籍「朝井閑右衛門 思い出すことなど」を購入する前に、朝井閑右衛門の作品と考えていたのである。
 また、朝井閑右衛門の趣味「壺」がともに描かれている。この作品「庭」の特徴は、@ 作者の鬱的傾向が見られる。A 縁側床の直線部分が独特の湾曲をしている。これは朝井閑右衛門の作品に見られる特徴の一つである。
 この作品の作者が朝井閑右衛門でなければ、このようなことは起こりうるものではない。


2)入手作品「薔薇」と朝井閑右衛門「薔薇」(日動画廊取扱絵画)の比較

 

 バラの描き方が同じであり、また同じ種類のバラである。

3)入手作品「婦人像」(水彩画)と朝井閑右衛門「豊収(誉ノ家族)」の比較

  

 現代では顎がこのように細い人が増えているが、当時では少なく、また、目も非常に大きい人である。同一人物(妻)である可能性が高いものである。

4)入手作品「庭」の裏面「人形」と朝井閑右衛門「人形」(真贋不明。ただし、原田光美術館開設準備室長も閑右衛門作品の可能性が非常に高いと認めたもの)の比較

  

 大の大人がなぜ人形の絵を描くのでしょうか。それも、子供が描いたような作品です。それは、油彩画の裏面に描かれた、閑右衛門の娘さんが描いた人形の絵に原因があると思います。

5)入手作品「病人」と朝井閑右衛門「病床の高見順」(仮題)の比較 
 

 朝井閑右衛門は病人に対し異常ともいえる興味を持っていた。
 病床の高見順の絵を描いたときは、入院先の横須賀の病院を抜け出し、高見順の入院している千葉のガンセンターへ直行した。ほとんど興奮状態で何度か往復した。
 そのときのメモ書きには「誰がオレに高見像を描かせたか」とメモをしている。
 また、「高見は自分の五十号の作品を見て、『痩せたなあ』と胃って不機嫌だった」とある。(「朝井閑右衛門 思い出すことなど」より)
 一種の異常行動と考える。「誰がオレに高見像を描かせたか」と発言も、離人症患者特有の言い方と考える。
 なお、この女性は奥さんと考える。病床の奥さんを描いたのである。これも、同じような行動と考える。
 そして、描かれた二人には生への本能「リビドー」というものがまったくない。

6)入手作品「果物と鉢植えの花」と朝井閑右衛門のサイン入り作品「君子蘭」(真贋不明)および朝井閑右衛門「メモ」(「朝井閑右衛門思い出すことなど」門倉芳枝)の比較

    






 作品「果物と鉢植えの花」と「君子蘭」は、画家の色彩感覚が同じものである。なんともいえない、独特の色彩である。共に、背景は重ね塗りをしいて、下地の色が同じ程度、現れている。また、鉢の描き方も共に立体感にやや問題があるような描き方である。
 このなんともいえない異様な色彩については、同じ色彩感覚の組み合わせが「朝井閑右衛門 思い出すことなど」に「メモ」としてある。
 これは、この「メモ」をパレットとして「果物と鉢植えの花」を描いたようにも見える。

 なお「果物と鉢植えの花」の裏に描かれている女性の顔の絵を見て、原田光美術館開設準備室長にこれらは素人が描いた絵だと判断されたものである。この「果物と鉢植えの花」、「女性の顔」および「君子蘭」は同じ位の実力の画家である。

 作品「君子蘭」は、全く違う出品者から入手したものである。この出品者の出品内容から、収集者の嗜好を考えたところ、全く統一性がなかった。そして、高額品も多いため、当方より所有者はやくざの取り立て屋ではないかと質問した。回答は、やくざの親分(やくざを連れて取り立てを行っていた人)とのことでした。これは、東京を拠点として活動していたやくざの親分が所有していたものをほかの方が代理出品したものである。しかし、保証絵画ではない。
 この左の絵画は朝井閑右衛門のものと考えていたものだが、その後入手した右の作品には朝井閑右衛門のサインがあるのだ。
 これは、二人の画家が偶然に同じ色を用い、そのひとりは朝井閑右衛門のサインを入れたとは決して考えられない。この「君子蘭」にも、入手絵画「薔薇」および庭を描いた1作品(縁側を描いたもの)と同じような縁の湾曲が見られる。

 また、あまり参考にはならないが、閑右衛門はタケノコも描いていた。


 朝井閑右衛門は双極性障害(躁鬱病)である。

 朝井閑右衛門の性格に関することが、「朝井閑右衛門 思い出すことなど」(門倉芳枝著、求龍堂)に記載されている。
 それ以外にも作品の題名から閑右衛門の性格が窺えるものがある。


 双極性障害とは、そして朝井閑右衛門の作品とは

 気分障害には単なる鬱病と双極性障害(躁鬱病)とがある。
 単なる鬱病の生涯罹病率は13〜17%である。また、双極性障害(躁鬱病)の生涯罹病率は0.4〜1.6%である。
 入手した朝井閑右衛門の水彩画を見ると、幸せにあふれるものでである。「多幸性の双極性障害の患者は、双極性障害の患者の40%以下であり、そしてそのうちの3分の1は幻覚と妄想を抱く」ということがあある。
 幻覚と妄想は、統合失調症の重要な症状である。
 ここで、精神分析学的に非常に面白いことを見つけた。
 作品には、双極性障害が見られるのですが、彼の性格には統合失調症の患者にみられるものが多くあるのだ。

  「幻覚と妄想」、それは統合失調症の一つの特徴でもある。統合失調症患者の特質には次のことがある。
 また、統合失調症にまで至らない統合失調症型人格(注:分裂病型人格と記載されたものを書き換えたものです)の特質には次のことがある。これは、上記統合失調症の特質と重複するものでもある。
 これらに関係した性格が朝井閑右衛門にはある。
 また、人の情緒は幼小期に形成される。そして、幼小期に受けた強いストレスは精神に強いダメージを与える。
 米国FBIによる犯罪者の調査ファイルによれば、猟奇殺人や連続殺人といった凶悪犯罪の犯人は、その前に50%以上の確率で犬や猫を殺してるとある。
 日本でも『連続幼女誘拐殺人事件』の宮崎勤被告や『連続幼児殺傷事件』の酒鬼薔薇少年が猫を惨殺していたことが知られている。『動物虐待は凶悪犯罪の前兆』と指摘する精神科医も少なくはない。
 私は何も閑右衛門が猟奇殺人や連続殺人を犯したと言っているのではない。閑右衛門は大きな精神的問題を抱えていたことが、「猫殺し」からも伺えると言うことである。

 現在は、「精神疾患」として扱われているものに、うつ病、軽症うつ病、抑うつ神経症、神経性抑うつ症、気分変調性障害(気分変調症)、気分障害、自律神経失調症、不安神経症、強迫神経症、対人恐怖症(対人緊張・対人不安)、視線恐怖症、あがり症、赤面症(赤面恐怖症)、社会不安障害、会食不能症、パニック障害(パニック症候群)、書痙症(手の震え)、吃音(どもり)、乗り物恐怖症(乗り物酔い)、心身症、心気症、多汗症(発汗症)、不眠症(睡眠障害)、偏頭痛、肩こり症、摂食障害(拒食症・過食症)、適応障害、不登校(登校拒否)、異常体感、顔面神経麻痺、チック症、過敏性腸症候群、過呼吸症候群、偏頭痛等の心の苦悩、神経症的難病等がある。
 尿失禁の原因はいろいろあるが、閑右衛門の場合は幼小期に大きな精神的ストレスより生じたと思われる。
 ここからも、閑右衛門は大きな精神的問題を抱えていたことが分かる。

 また、これらの精神疾患に関連した作品が朝井閑右衛門のなかにある。
 作品 「電線風景」 (参考絵画 神奈川県立近代美術館蔵)


  
 朝井閑右衛門の心情(推測)
 
 人のふとした言葉には、その人の心理が隠されていることがあります。朝井閑右衛門の作品の題名に「仮面なしでは生きられない」と言うものがあります。これほど悲しい言葉はなかなかありません。また、「廃園」というのもあります。この「廃園」は誰の庭なのでしょうか。それは当然朝井閑右衛門の庭のことです。これは、朝井閑右衛門が感じた気持ちです。
 入手した明るい絵画には、家族との幸せに過ごした時が描かれています。子供が持っていたと思われる人形が描かれています。そして、1枚の絵画の裏面には子供が描いた人形(宇宙服を着た人?)の絵があります。
 悲しみと喜び、これらは全く両極端の気持ちです。この気持ちは誰でも持ちますが、閑右衛門作品には非常に強い悲しみに満ちた題名および作品があります。反対に、入手作品の水彩画は、喜びに満ちあふれたものです。この両極端の非常に強い気持ちが交互にあるのが、双極性障害です。
 先に取り上げた出品作品「人形」あるいは朝井閑右衛門の作品「人形」は、別れた子供が描いた絵を思い出し、そして、別れた子供のことを思い出し、心で泣きながら、そして子供のことを忘れるかのように夢中になって描いた絵のように思われます。ただしそれは、無意識下かもしれません。
 そして、子供の表情および奥さんの表情からは、心の交流はあまり感じられません。しかし、子供の描いた絵と奥さんを描いた絵を大切にしていたことを考えると、閑右衛門は愛し方を知らなかったからと考えます。
 これは考えすぎでしょうか?
 
 終わりに
 
 以上より、朝井閑右衛門は双極性障害(躁鬱病)であると考える。

 横須賀市美術館開設準備室の学芸員の方が言われた、「朝井閑右衛門は双極性障害ではない」というのは間違いと考える。
 また、「朝井閑右衛門の作風と全く異なる」と言われたが、私は彼らに絵画の説明をする際、作風が全く異なるものだと説明し、それが双極性障害によるものだと説明した。作風が異なるのは当然である。

 今回入手した絵画は、双極性障害の人が描いたものである。そして、その嗜好(薔薇、庭、壷、瓶、人形に非常に強い興味、病人に対する非常に強い興味)は閑右衛門と同じである。また庭の絵に描かれた縁側の構造も閑右衛門の家の縁側とまったく同一である。薔薇の色彩および形、奥さんと思われる女性の特異的な顎も同じである。また、入手絵画には、庭にあるモニュメント様の柱を描いたものがあるが、閑右衛門はモニュメントを庭に置いていた。このようなモニュメントを庭に置く画家は非常に少なく、閑右衛門以外には考えられない。
 閑右衛門は創意工夫の人と言われたが、庭の絵および薔薇の絵にも工夫の跡がある。共に1枚は厚塗りのものである。試行錯誤による厚塗りの作風が生まれたのである。
 そして、縁側の縁の直線がやや湾曲しているのも閑右衛門の描き方の特徴の一つである。これもひとつの作風である。これは、閑右衛門の好きな写真からの発想であり、広角レンズを通して見た風景である。
 また、同一出品者による同一作者の最後に入手した紺色の絵画が、まったく異なる出品者の朝井閑右衛門のサインのある「君子蘭」(ただし真贋不明)と同じ描き方である。
 それ以外にも、出品者は「この画家は赤が特徴的」と言われていた。「朝井閑右衛門 思い出すことなど」にも、「赤に対するこだわりがある。」と書かれている。
 また、閑右衛門は絵の具にこだわりがあった。画家が絵の具にこだわるのは当然であるが、お弟子さんの門倉さんもこの点に言及している。薔薇の絵3枚のうち2枚は非常に美しい色彩で描かれている。多くの画家は、絵の具を混ぜ合わせ自分の好きな色を作っているが、この2枚の作品は、混ぜる前の絵の具の美しい色が出ている。 

 これらの多くのことは、私がこれらの作品を朝井閑右衛門の作品と考え入手した後、「朝井閑右衛門 思い出すことなど」(門倉芳江著、求龍堂)より調べたものである。この本を購入した後、この本に書かれている作品をいろいろな出品者より購入して集めたものではない。

 そしてこれらのことが、たんに偶然の一致と言う人はいるのか。少なくとも、各事象における確率を掛け合わせ考えたら、このような画家は一人に絞られるはずである。
 これが、科学的考察と考える。

 また、子供が描いた絵が同時に見つかったことからこれらの絵画は閑右衛門が直接所有していたものと考える。


 履歴

朝井閑右衛門の名 は雅号で本名は浅井實。しかし晩年に戸籍登載の氏名にした。

1901年(明治34年) 和歌山県に生まれる。
1919年(大正8年) 上京。法政大学文学部を卒業し独学で油絵を研究した。
1926年(昭和元年) 第13回二科 展に「廃園に於て」で初入選。
1928年(昭和3年) この頃小田原へ移り住み、作家松野信一、川崎長太郎、詩人藤浦洸など、小田原付近の若き芸術家や文人と接していた。
1932年(昭和7年) この頃、知遇を受けて、光風会会員の平岡権八郎の画室に居候。
1934年(昭和9年) 第21回光風会に「素描する人」、第15回帝展に「目刺の ある静物」で入選。以後官展と光風会に出品。
1936年(昭和11年) 光風会会友。文展「丘の上」で文部大臣賞受賞。
1937年(昭和12年) 光風会会員。戦中はたびたび中国へ赴き戦争画や肖像画をを描く。
1939年(昭和14年) 新文展審査員。
1947年(昭和22年) 日展や光風会から離れ、井出宣通らと新樹会を結成。日本国際美術展、現代日本美術展、国際形象展などを発表の場とする。雑誌の表紙 絵や挿絵でも活躍。
1962年(昭和37年) 国際形象展が組織され、同人に推挙される。
1983年(昭和58年) 神奈川県鎌倉市で死去。没年82歳。


 補足

 先に、「朝井閑右衛門は多幸性の双極性障害(躁鬱病)である」と言ったが、閑右衞門の性格は現在言われている気分障害(双極性障害および単なる鬱病)の患者の性格と異なる。

 気分障害は、性格と関連がある。気分障害になりやすい人の性格として、循環型性格、下田型執着性格およびテレンバッハのメランコリー親和型性格等が知られている。

1.循環型性格
 @ 社交的、善良、親切、温厚、明朗、活発、ユーモア
 A 平静、寡黙、陰鬱、気が弱い
 この@の性格とAの性格が循環する。 
2.下田型執着性格
 几帳面、凝り性、仕事熱心、強い義務責任感、模範青年、模範社員、思い込みが激しく、頭の切かえが難しい等の執着性格
3.テレンバッハのメランコリー親和型性格
 几帳面、善良
 メランコリー親和型性格の人は、責任感が強く、仕事熱心で、やる時は徹底的にやる。その一方で他人への配慮も忘れない。こうした人はストレスを受けやすい反面、まわりの人からみると確実で頼りになるので、責任ある要職に推されることも多くなる。
 
 これらの性格のうち、凝り性および仕事熱心は閑右衛門の性格に見られるが、どちらかというと閑右衛門の性格は統合失調症および統合失調症型人格
の人に見られるものである。
 しかし、入手した絵画は双極性障害の人でなければ描かないような絵画である。また、閑右衛門の行動には双極性障害の人がとる行動をしている。

 それではどのように捉えるかと言うと、「多幸性の双極性気分障害の患者は、双極性気分障害の患者の40%以下であり、そしてそのうちの3分の1は幻覚と妄想を抱く」ということが精神分析の論文にあるが、この幻視と幻覚を抱く多幸性の双極性気分障害の患者は、通常の双極性気分障害と統合失調症の中間に存在する様なものと考える。


 追記 2007.3.16

 双極性障害と統合失調症とは非常に近い関係だと考えていたが、後日これを裏付ける研究報告をホームページ(南東北医療クリニック 専門外来 松澤大樹医師記載)で見つけた。

 精神病に対する新たな発見

 南東北医療クリニックの松澤大樹医師による、MRI装置を用いた脳映像にに関する研究報告は以下の通りである。

 全ての精神障害は、うつ病、統合失調症、アルツハイマー病とこれらの組み合わせ以外ない。
 また、普通の精神病はすべて(95%以上)うつ病と統合失調症の混合型であり、高次脳機能障害(内因性)という病名が最もふさわしい。
 現在の精神医学では、うつ病と統合失調症が同一人に発症することはなく、特に統合失調症は治ることはないと信じられている。毎日の診療を通してこれが科学的に間違いであり、殆どすべての精神病が混合型であることが実証された。



 
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