屋根裏部屋の美術館

緑川廣太郎

純化された形象と悠久の詩魂


 はじめに

 当美術館「屋根裏部屋の美術館」が所蔵する緑川好太郎「水仙」、「無花果」および「菜の花」を紹介する。
 緑川廣太郎の作品を、「純化された形象と悠久の詩魂」と評した方がいる。ここで紹介する作品「菜の花」には、まさにそのものが描かれている。
 

 緑川廣太郎 みどりかわこうたろう (1904-1983)

 
自画像 (「緑川廣太郎 素描展」始弘画廊) 

 

 相貌(そうぼう)心理学とは、顔と性格の関係についての学問である。また、筆跡学は筆跡と性格の関係についての学問である。

 精神的な問題は顔に表れる。自画像にある眉間のしわはと痩けた頬は、非常に強いストレスを受けたことを示す。
 また、「書は人なり」という言葉がある。書には、その人の性格が出る。
「飯島先生」という筆跡は極端に乱れ、書には問題があることが分かる。つまり、彼の性格には問題がある可能性がある。


 作品「ブランコと少年」



 作品解説

 この絵には、緑川廣太烽ェ子供時代に抱いていた孤独が描かれている。
 彼は、生後間もなく母を亡くしている。
 幼少期に大きなストレスを受けると、その後ストレスに対する耐性が減少する。


 戦争という暴力、戦後の暴力

 藤田嗣治、小磯良平、宮本三郎ら日本の美術史に残る画家達が、戦意高揚のため軍の依頼で「戦争記録画」を描いた。緑川廣太郎もその一人であった。
 「戦争」という暴力は、戦争に反対する画家達に心に深い傷跡を残した。戦後、心に暴力を受けた画家達は、「戦争記録画」を描いた人に対して「戦争協力者」という見方をして彼らの心に暴力を振るった。戦後、藤田嗣治は日本を追われフランスに去った。これが、「暴力の連鎖反応」である。
 この「菜の花」は、韓国人画家である全和凰(チョン・ファファン)が「祈り」を描き続けた後、幻想的な絵画「麦秋」を描いた過程とまったく同じである。「戦争」という暴力を心に受けた全和凰は「祈り」を描き続け、戦後心に暴力を受けた緑川廣太郎は「花」を描き続けた。ともに、心に傷を受けた画家が精神分析でいう「昇華」(心に受けた問題を、芸術的活動・宗教的活動など社会的に価値あるもので解決しようとすること)として絵画制作を行ったのである。


 暗闇の世界 作品「清節凌寒図」(1953年、画家小林寿永取扱、屋根裏部屋の美術館蔵)



 出品者(小林寿永)による作品紹介
 
 この作品は、弟子の版画家高橋秀氏が大切に持っていたものである。作品の裏書きには、「清節凌寒図」とある。

 作品解説

 作品には「清節凌寒図」とあるが、清節とは季節を表すもので、三清節があり、冬至元始天尊聖誕、夏至霊宝天尊聖誕、2月15日太上老君聖誕である。

 この闇のなかで咲く花は、画家の心を表している。
 画家の心は、この闇の世界に閉ざされていた。
 画家は、孤独という強いストレスを受けていた。


 作品「無花果」(屋根裏部屋の美術館蔵)



 作品解説

 この作品は、無花果の実が付いている一枝を一輪の花を生けるように描かれている。
 普通の画家が描く作品は、この作品「無花果」のように描くのが普通である。


 幻想の世界 作品「菜の花」(1943年、good8508art取扱、屋根裏部屋の美術館蔵) 



 作品解説

 私は、この作品「菜の花」に「純化された形象と悠久の詩魂」を感じる。
 画家は、一輪の菜の花をこのように感じ描いたのか。
 野原に寝転び、太陽を背景に菜の花を見ればこのように描けるのか。

 それは、「光の世界」を見たからである。


 臨死体験

 非常に強いストレスを受けると離人症という精神疾患が起きることがある。
 この離人症には、解離状態という症状がある。この解離状態は、ケタミンという解離性麻酔薬の服用により起きることがある。ケタミンは、現在麻薬として取り扱われているが、これを服用すると「臨死体験」が起きることがある。
 つまり、離人症と「臨死体験」とは近い関係にある。

 オランダの心臓病専門家ピム・ヴァン・ロメール(Pim Van Lommel)医師は、心臓疾患で一時ショックに陥った状態から蘇生された患者344例を対象に調査した結果、患者の18%にあたる62人に臨死体験があったと言っている。

 臨死体験の経験者は、「ポジティブな感情」(35人)、「死ぬのを意識した」(31人)、「死んだ人に会った」(20人)、「トンネルの中を移動」(19人)、「天上の景色を見た」(18人)、「体外離脱体験」(15人)、「光とコミュニケートした」(14人)、「色を見た」(14人)などと言っている。

 「天上の景色を見た」及び「光とコミュニケートした」人がいることが分かる。

 もちろん、実際に「天上の景色を見た」及び「光とコミュニケートした」訳ではない。
 強いストレスを受け、脳に異常が起き、幻覚を見たからである。

 私は、作品「菜の花」(1943年)を観ると、緑川廣太烽ヘこの臨死体験と同じ状態があったのではないかと考る。
 それは、作品「菜の花」は他の作品と比較して非常に作風が変化し、また幻想的な世界を描いていることと、緑川廣太烽ェ過去に精神的に大きなストレスを受けてきたからである。
 作品「菜の花」に描かれた「光の世界」を見る人は、作品「水仙(清節凌寒図)」に描かれた「闇の世界」を見た人である。

 作品「菜の花」の制作は1943年である。そして、心の暗闇を描いた作品「清節凌寒図」は1953年である。
 それは、心の傷はなかなか癒えく、ときおりフラッシュバック(強い心的外傷を受けた場合に、後になってその出来事が、突然かつ非常に鮮明に思い出されたり、同様に夢に見たりする現象)として現れるからだ。

 作品「菜の花」は、韓国人画家である全和凰(チョン・ファファン)が「祈り」を描き続けた後、幻想的な絵画「麦秋」を描いた過程とまったく同じである。「戦争」という暴力を心に受けた全和凰は「祈り」を描き続け、戦後心に暴力を受けた緑川廣太郎は「花」を描き続けた。ともに、心に傷を受けた画家が「昇華」(心に受けた問題を、芸術的活動・宗教的活動など社会的に価値あるもので解決しようとすること)として絵画制作を行った。

 全和凰は作品「麦秋」を生みだし、緑川廣太烽ヘ作品「菜の花」を生み出した。
 それらは、美しい幻想の世界である。 
 そして、その絵画に描かれたものは、臨死体験のとき見る美しい幻想の世界と同じである。
 その臨死体験とは、強いショックを受け精神に問題が起きたとき生じるものである。


 終わりに

 全和凰(チョン・ファファン)が辛いとき祈り続けたように、この緑川廣太郎は花に救いを求めたのである。ともに幻想的な絵画を描いている。
 作品「菜の花」の制作は1943年である。そして、心の暗闇を描いたような作品「清節凌寒図」は1953年である。
 それは、心の傷はなかなか癒えく、ときおりフラッシュバック(強いトラウマ体験(心的外傷)を受けた場合に、後になってその出来事が、突然かつ非常に鮮明に思い出されたり、同様に夢に見たりする現象)として現れるのである。
 そのような体験を持つ画家が、臨死体験のとき見る美しい幻想の世界と同じような作品「菜の花」を作り出す。


 履歴

 緑川廣太郎 

1904年 3月18日、神奈川横浜に生まれる。10月、母肺結核により死去。
1917年 明治中学校に入学。のち中退。
1920年 本郷洋画研究所に通う。のち小島善太郎に師事。
1933年 独立展出品。
1940年 「黄土」「砂丘」が第10回独立美術協会協展会賞受賞。
1943年 第6回新文展特選。
1944年 戦時特別展特選。
1949年 独立会員。
1952年 紺綬褒賞受章。
1966年  第34回独立美術協会展児島賞。
1968-69年 シルクロードを旅行。
1983年 逝去。

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