屋根裏部屋の美術館


横堀角次郎 草土社作品


 横堀角次郎「花」(色彩補正あり、good8508art取扱、屋根裏部屋の美術館蔵)



 作品解説
 この作品は、横堀角次郎が草土社に学んでいたときのものである。
 横堀角次郎には、益子焼きを描いた同じような作品がある。


 草土社

 白馬会の葵橋洋画研究所で外光派表現を学んだ岸田劉生と木村荘八は、文芸雑誌『白樺』で紹介されたゴッホやセザンヌなど新印象主義の画風に強く感銘し、明治45年に斎藤与里・高村光太郎・萬鉄五郎など同志とともに結成したフューザン会においてその影響を色濃く反映した作品を発表します。翌年の2回展をもって同会は解散しますが、劉生と木村は巽画会展洋画部に審査員として参加。この展覧会に出品した清宮彬・椿貞雄・中川一政・横堀角次郎・中島正貴・高橋三千夫、そして豊橋出身の高須光治が草土社のメンバーとなりました。大正4年、劉生らは飛田角一郎・柳沢菊次郎を加え、現代の美術社主催第1回美術展覧会を開催。これが実質上の草土社第1回展となり、以後、田村憲・河野通勢らが同志に加わります。草土社の名は当時、劉生が代々木界隈の赤土と草を好んで写生したことに由来します。このころ劉生はデューラーやファン・アイクなど北方ルネサンスに傾倒し、自ら「写実的神秘派」と称して写実を極めていました。他の同人もこれに追随し、時代に逆行するとの批判を浴びながらも、いわゆる草土社風とよばれる特質を生み出します。(豊橋市美術博物館資料)


 履歴

1897年 勢多郡大胡町(現在前橋市)に生まれる。 
1915年 第15回巽画会で「自画像」三等賞銅牌受賞。草土社結成に参加
1923年 第1回春陽会展で「川べり」等春陽会賞受賞
1924年 第2回春陽会展で「篭中果実」等春陽会賞受賞 三岸好太郎らと麓人社結成
1925年 春陽会無鑑査。
1930年 春陽会会員
1939年 第3回新文展出品
1941年 群馬美術協会創立
1978年 群馬県文化功労者
1978年 死去。


 作者不詳「静物」(good8508art取扱、屋根裏部屋の美術館蔵)
 

 作品解説

 上記掲載作品、横堀角次郎「花」と同じような描き方である。おそらく、草土社で学んだものの作品と考える。
 サインはあるが不明である。
 

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