屋根裏部屋の美術館

梅原龍三郎 「苦悩」


 はじめに

 当美術館「屋根裏部屋の美術館」所蔵の梅原龍三郎「浅間山」および「蹴上風景」を紹介する。
 この2作品は、インターネットオークションで入手したもので、梅原の豪快なタッチと力強い色彩が見られる。この豪快なタッチと力強い色彩は、梅原の豪快な性格によるものである。 
 

 梅原龍三郎 うめはらりゅざぶろう (1888〜1986)

 京都府生まれ。聖護院洋画研究所、関西美術院で浅井忠に学ぶ。1908年フランスに留学しルノアールに師事。西洋の油彩技術を駆使して 東洋的な装飾性を加え、岩絵の具などを用いて東西両方を取り入れた独自の様式を築きあげた。安井曾太郎とともに、昭和の日本洋画界をリードした。文化勲章受章者。

 その画家はよく食べました。口にするものは肉でも、魚でも、上等なものばかり。なかでも好物だったのが、鰻の蒲焼きです。箸を持つのももどかしく、本人いわく獅子食い。とにかく豪快でした。画家の名は、梅原龍三郎。日本絵画史に燦然と輝く天才画家。天衣無縫といわれた男です。〈赤の梅原〉と異名をとりました。描かれた肉体は豊かで、明るく輝き、つかみ取った空間は深く、雄大。日本古来のモチーフも豪快そのもの。 (「美の巨人達」 TV東京 )




 
 作品「浅間山」(古物美術商物故堂取扱、屋根裏部屋の美術館蔵) 
  

 出品者(古物美術商物故堂)による作品紹介

 本作品は京都の昔の有名旧家の秘贓品と言えば少し大げさですが、この家の先代が梅原と少なからずの親交が有ったと言う話です。どこまで信じられる話なのかは私にも分りません。しかし、この家から梅原の素晴らしい作品が数点出てきており、只今研究中です。一応全て買い取りました。真贋は判りませんが非常に出来が良いと私は判断しましたので、旧蔵者と折り合いを付けて購入に踏み切りました。この絵に関しての私自身の意見は筆の勢い、筆致、特に緑の色使い、流れるような調子の梅原の線が非常に良く出来ており、感心しております。限りなく抽象化する事にこだわり、日本と西洋の融合を日本の画家として、初めて成し遂げた梅原の世界がここに在る。言わば真骨頂がこの様な画風に集約されて居るでしょう。どういう経緯でこの家に梅原の絵が数点も存在しているのかを考えると限が無いので、考えない事にします。少なくとも私は「良い」と判断しました。無論、未鑑定品で真贋の保証等は一切出来ませんが、この絵を自分の目で見て判断して気に入った方のご入札をお待ちしております。是非この機会に素敵な絵をコレクトの一つにお加えください。絵を見て楽しんで頂ければ幸いです。絵の支持体は板でサイズは4号です。経年の痛みが少しは御座いますが、鑑賞に支障は御座いません。元額は既に無く、新しい額に入れてお届けいたします。表面にはサイン。裏面には何も書かれて居りません。このサインなども非常に力が在ると私は思います。

 作品解説

 非常に力強い作品である。豪快な画家らしい作品である。
 戦後、浅間山をモチーフにし新たな連作を始めるが、昭和23年頃から岩絵の具をポリビニール酢酸溶液に混ぜたデトランプを使用した。そして、昭和31年頃には絵の具をチューブから絞り出して直接キャンパスに描く方法も取り入れた。
 この画像の山の部分が光っているように見えるが、これはポリビニール酢酸つまりプラスチックによる光の反射からくるものと考える。正確を帰すなら、顕微赤外分光光度計という分析装置を用いて調べると分かるだが、作品の極一部を剥ぎ取らなければならない。


 作品「蹴上風景」(古物美術商物故堂取扱、屋根裏部屋の美術館蔵)

 出品者(古物美術商物故堂)による作品紹介

 本作品は京都の知人のお爺さんが昔から家に在った作品らしく買取を希望で持ち込まれましたが、金額が折り合わずオークションでの売却で合意しました作品です。表面には梅原のサインが有り、裏面の右下には「蹴上風景」・左側に16・11・18と何れも鉛筆で書かれております。最初の16が1916年の16なのか、昭和16年の16なのかは判りません。画像の板の古さ等からご判断ください。何れにしましても相当古い作品である事は間違い無く、帰京の折、蹴上の若干紅葉しかけた風景をさり気無く描いた作品かも知れません。少なくとも私は色々な意味で非常に興味深い作品であると判断して居ります。無論、未鑑定の為真贋の程は全く不明ですが、いずれにせよ前作で簡単に写生したものでしょう。絵の支持体は板・技法は油彩・サイズは3号で額はございません。

 作品紹介

 梅原龍三郎の作品にはこのような作風はない。しかし、小品ながら力強さを感じる。彼の多くの作品は、力強さを出すため荒いタッチで描かれているが、この作品は丁寧な筆遣いによるもので、また色彩からくる力強さを感じる。この作品は梅原龍三郎のものでは優れた部類に区分けできるものと思う。


 梅原龍三郎の精神状態を考えるにふさわしい4作品を紹介する。

 作品「教会」(真贋不明、古物美術商物故堂取扱、個人蔵)



 出品者(古物美術商物故堂)による作品紹介

 本作品は大阪の信濃橋研究所に籍をおいていた大阪の洋画物故作家の遺族から出てきた作品であり、この作家の画風とは明らかに異なる事から、表面にはサインこそございませんが、裏に署名および場所が鉛筆書きで記されてあります。私なりに考えられる事は本作品に所謂、贋物の匂いがしない事。色彩は梅原のそれと別段可笑しくは無い事。紙がきっちりと時代を表している事。筆使いがプロの作である事。以上の事を考慮しても本作品が梅原ではないとする根拠が無く、私なりの見識に於いて「良い作品ではないだろうか。」という判断に至りました。晩年の梅原でさえ駄作は山のように有ったらしいです。大昔に梅原先生が渡欧の際に留守番をしていた彼末画伯が昔に若干お世話になった際、私に言っていたのを記憶しております。それらの膨大な作品は一生陽の目を見ないだろうと言っておられました。万が一にも若干の散逸があったとしても、真作とはされず葬り去られるとも言って居られました。良い勉強になりましたよ。無論、未鑑定品ですので、鑑定書が取得出来る事は保証できません。

 作品紹介

 この作品は、作品「蹴上風景」と同じような色彩であるが、やや問題を抱えている。しかし、このことは下に掲載された作品「トンボ」(仮題)ほどではない。
 画家が精神に問題を抱えていたとき制作された作品と考える。
 

 作品「仙台七夕祭り」(真贋不明、古物美術商物故堂取扱、個人蔵) 


 作品解説

 出品者は、この作品を梅原龍三郎のものでないと考えていた。
「仙台七夕祭り」とあるが、鬱的心情が現れている。
 私は、この作品は梅原龍三郎のものと考える。それは、参考絵画「トンボ」(仮題 保証絵画)の作風とまったく異なるものであるが、精神に問題がある画家のひとつの典型的なパターンである。


 作品「トンボ」(仮題、東京美術倶楽部鑑定証書付き、個人蔵)


 作品解説

 この絵画は、真作保証のものである。「仙台七夕祭り」が出品されたとき、予想していたタイプの作風であるが、あまりにも躁的心情が現れているのには驚いた。
 この時の心情は、「トンボさんがぱたぱた飛んでいる。ぱたぱた飛んでいる。きれいな花びらがひらひら舞っている。ひらひら舞っている。楽しいなあ。楽しいなあ」である。
 

 作品「噴煙」(1953年、東京国立近代美術館蔵)



 作品解説

 鬱的心情が現れている作品「仙台夜祭り」および多幸感のある躁的心情が現れている作品「トンボ」(仮題)を描く画家は、この作品「噴煙」のような作品を作り出す。
 鬱的心情を持つ人は躁的心情を持つことがある。それは双極性感情障害という精神疾患によるものである。そして、多幸感のある躁的心情を持つ人の何割かが幻覚を見るのである。つまり、幻覚に近い絵画を描く画家の多くは、鬱的心情の絵画を描き、また躁的心情の絵画を描くのである。
 ただし、作品「噴煙」は幻覚によるものか、幻想によるものか、あるいは幻想と幻覚は類似なものかは分からないが、けっして精神的な問題がないひとが感じて描けるものではない。


 苦悩
 
 大正2年にフランスより帰国した梅原は、滞欧作個展で作品を発表して一躍新進画家として認められた。しかし、その後しばらくの間スランプを経験する。そのスランプは、昭和10年頃まで続いた。その後の作品は豊穣なすばらしい作品が生み出された。
 しかし、晩年もスランプに陥った。そして、自殺願望もあった。(「私の梅原龍三郎」高峯秀子著)

 「晩年の梅原でさえ駄作は山のように有ったらしいです。大昔に梅原先生が渡欧の際に留守番をしていた彼末画伯が昔に若干お世話になった際、私に言っていたのを記憶しております。それらの膨大な作品は一生陽の目を見ないだろうと言っておられました。万が一にも若干の散逸があったとしても、真作とはされず葬り去られるとも言って居られました。」(親しくしている古物商兼美術商の話)
 この2点の話だけでも、梅原の苦悩は分かる。この苦悩という精神的問題は、精神疾患によるものである。

 ここに掲載してある梅原龍三郎の作品にも、駄作はある。
  

 双極性障害(躁鬱病)

 梅原龍三郎は双極性障害を患っていたと考える。
 気分障害(双極性障害および単なる鬱病)は、性格と関連がある。気分障害になりやすい人の性格として、循環型性格、下田型執着性格およびテレンバッハのメランコリー親和型性格等が知られている。

1.循環型性格
 @ 社交的、善良、親切、温厚、明朗、活発、ユーモア
 A 平静、寡黙、陰鬱、気が弱い
 この@の性格とAの性格が循環する。 

2.下田型執着性格
 几帳面、凝り性、仕事熱心、強い義務責任感、模範青年、模範社員、思い込みが激しく、頭の切かえが難しい等の執着性格

3.テレンバッハのメランコリー親和型性格
 几帳面、善良
 メランコリー親和型性格の人は、責任感が強く、仕事熱心で、やる時は徹底的にやる。その一方で他人への配慮も忘れない。こうした人はストレスを受けやすい反面、まわりの人からみると確実で頼りになるので、責任ある要職に推されることも多くなる。
 
   「梅原は、朝日を描くために朝3時に起き、午前中に1枚書き上げ、気が乗ると午後にもう1枚描くと言った勤勉努力の人でした。」(嶋田華子 梅原龍三郎の孫娘):凝り性、仕事熱心
 ルノアール、ピカソ、武者小路実篤等との交流をみれば、友情に厚い人というのが分かる。:社交的
 「その画家はよく食べました。口にするものは肉でも、魚でも、上等なものばかり。なかでも好物だったのが、鰻の蒲焼きです。箸を持つのももどかしく、本人いわく獅子食い。とにかく豪快でした。」 (「美の巨人達」 TV東京 ):これは活発とは異なるが、双極性気分障害になりやすい人の性格と考える。

 双極性障害は、遺伝、幼小期の育てられ方、そして引き金となるストレスが発症に強く関与する。
 「生母は早く亡くなり、父と義母ゆきとに溺愛されて育ったという。義母はとにかく可愛がれば良いと考えており、また父も喧嘩を叱ったりせず、茶屋の支払いに困った時に黙って後始末をしてくれたという。」(「色彩の画家梅原龍三郎展」 編集嶋田華子 読売出版社)

 そして、精神に問題を抱える人はそれが顔に表れる。


 作品と精神的背景

 彼は、双極性障害と言う精神疾患を抱えていた。それは鬱、多幸状態のある躁、そして幻覚である。巨匠の多くは、このような精神疾患を抱えている。そして、鬱状態から躁状態に変化するときには素晴らしい絵画を作り出す。
 
  
 終わりに

 
作品「浅間山」および作品「蹴上風景」は、梅原龍三郎の力強い作品である。この2作品は作風が異なるものであるが、ともに他の画家では見られない力強さを持っている。
 梅原龍三郎が目指していたのは、豪快さである。その豪快さを極めたのが、作品「浅間山」であり、作品「蹴上風景」である。けっして作品「噴煙」(東京国立近代美術館蔵)ではない。
 また、彼は非常に豪快な人物だった。この「非常に豪快」というのがくせ者である。正確に言うと豪快に振る舞っていた人である。そのような人が鬱的心情になる。その鬱的心情はその後、なにかの拍子に躁的心情になる。
 作品「蹴上風景」は、どこか精神に乱れが生じたとき制作された作品「教会」(仮題)のいっとき前に創られた絵画のような気がする。
 また、北京を描いた作品の多くには、作品「トンボ」に近い色彩が用いられている。
  

 履歴

1888年(明治21年) 京都市に生まれる。家は悉皆屋で、裕福な家庭であった。
   「生母は早く亡くなり、父と義母ゆきとに溺愛されて育ったという。義母はとにかく可愛がれば良いと考えており、また父も喧嘩を叱ったりせず、茶屋の支払いに困った時に黙って後始末をしてくれたという」(「色彩の画家梅原龍三郎展」、編集嶋田華子著、読売出版社)
1903年(明治36年) 浅井忠の聖護院洋画研究所及び関西美術院にて学ぶ。
1908年(明治41年) 渡仏。
1909年(明治42年) ルノワールに師事する。ともに写生旅行をするなど親交を深める。
1911年(明治44年) ピカソと知り合い、以後交流を続ける。
1913年(大正2年)  帰国。
1914年(大正3年)  二科会会員になる。
1918年(大正7年)  二期会を辞す。 
1920年(大正9年)  再度渡仏。 
1922年(大正11年) 小杉未醒らと春陽会を設立。
1925年(大正14年) 川島理一郎らと国画創作協会の洋画部を設立。
1934年(昭和9年) 岩絵の具を使い始める。
1939年(昭和14年) 北京に滞在し制作。
1952年(昭和27年) 文化勲章受賞。
1986年(昭和61年) 死去。享年97歳。


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 作品「ケシの花」(good8508art取扱、屋根裏部屋の美術館蔵)



 作品解説

 我々が知っている梅原龍三郎の作品は、山、薔薇、北京風景などである。このような作品は観たことがないはずである。出品者は、非常に多くの絵画を取り扱っているが、作者不詳として出品した。サインの「R.U」のUがVに見えるからである。梅原はサインのUをVのように書くのが特徴である。
 この作品は、豪快に演じている梅原ではなく、豪快になった梅原が描いたような作品である。どこにも気負いが見られない。
 豪快に演じている梅原が描いたものとは、作品「浅間山」である。


 作品「薔薇」(good8508art取扱、屋根裏部屋の美術館蔵)



 作品解説

 この作品も、作者不詳として出品されたものである。



 精神に問題を抱える画家の多くは、絵画に顔を書き入れることが、靉光、村上肥出夫、小林寿永等の作品研究から分かった。
 この落ち着きのない色彩感覚で描かれた作品「薔薇」を観ると、やはり顔が描かれている。

    

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