屋根裏部屋の美術館

平沢貞通 帝銀事件犯人は冤罪か?

帝銀事件 死刑犯平沢は冤罪か?

2007.4.4
中村正明
masaaki.nakamura.01@gmail.com

 初めに

 当美術館「屋根裏部屋の美術館」が所蔵していた平沢貞通「牡丹」を紹介する。
 平沢貞通は帝銀事件で逮捕され、死刑の判決を受け獄中で死んだ画家である。
 今では冤罪説が有力で、私などが怪しいとでも言うものならそれこそ批判の対象となることは目に見えている。しかし、今までからの見方からではなく、精神分析から帝銀事件を見てみたいと思う。
 私は犯罪に関しては素人そのものである。しかし、犯罪に関する映画は好きでるあ。「羊たちの沈黙」も好きな映画のひとつである。
 ここでは、私はレスター博士である。


 平沢貞通

 終戦直後の混乱期に起きた大量毒殺事件である帝銀事件で死刑囚として、無実を訴えながら39年におよぶ獄中生活のまま95歳で獄死したテンペラ画家。
 平沢氏は、物的証拠は何もなく、拷問による自白(偽造自白書の可能性大)のみを証拠に死刑判決を受け、死刑確定後も再審請求を何度も繰り返して冤罪を訴えるも、獄死された。
 雅号を「大暲」とした。
 文展、帝展16回、二科展、光風会に毎年入選し、無鑑査となる。

 「担当さん。私は、死刑になっても、運命と諦めることもできます。交通事故で死ぬ人だけでも、年間一万人もいるそうですし、言われない理由で殺される人も多数いると聞きます。こんな社会ですから、これも自分の運命だと諦められます。けれども、私の妻や私の子供や孫は、彼らが生きている限り、帝銀事件の犯人の身内として、社会から迫害され続けていくのだと思うと、どうしても我慢できません。私は国家権力と命のある限り戦って、自分の無実を晴らし、家族を救うつもりです。」(平沢貞道)

 平沢晩年のこの言葉に嘘はあるのだろうか?

 詩人は、心を素直に詩に託す。だから詩は多くの人に感動を与える。
 平沢のこの言葉も心を素直に述べたものだと感じられる。


(写真右は、居木井刑事が言う「平沢が百面相をしている」という小樽でのもの。森川哲郎著「秘録帝銀事件」に掲載)


 年配の方には、帝銀事件を知っている方は多いと思う。
 また、平沢が獄中で絵を描いていたことも有名であるが、画家として非常に実力のあった人である。いちど、平沢の絵を観てみたいと思っていたが、思いがけず入手することが出来た。
 出品者は、画家の小林寿永氏である。小林寿永氏は、豊島区椎名町に戦後より住んでいる。
 椎名町は、1930年頃から終戦直後にかけて、多くの芸術家が集まっていた場所で池袋モンパルナスと呼ばれていたところの一地区である。そこで帝銀事件が起きた。

 作品「牡丹」(テンペラ、所有者不詳)



 池袋モンパルナス画家小林寿永氏による作品解説

 平沢の関わった帝銀は椎名町の駅前で、私が上京当時、建物がまだそのまま残っておりました。運命の悪戯と片つけるには余りにも悲しすぎる出来事です。この作品はおそらく戦前に描かれたと思います。状態が良くないのですが、出品する少し前、大手書画競売市「宏友会」(注:業者市)で競り落としました。専門家に言わせれば、「獄中の物が高い」と、ふざけた言い方をするのです。「どんなに辛く苦しかったか」その思いがあって手に入れました。

 私の作品解説

 花を見ますと牡丹である。しかし、牡丹にはトゲはない。枝にあるトゲを見ると薔薇である。とりあえず、牡丹風薔薇とする。

 いい加減な解説である。


 トゲのある牡丹

 トゲのある牡丹があるかどうかをインターネットで検索エンジンGoogleを用いて調べた。
 キーワードは、「牡丹」と「トゲ」である。
 ホームページ「銀座黒田陶苑トピックス2006年6月」には次のような記述がある。
 「中国古陶磁の文様には牡丹文・宝相華文・華唐草文と称されるものがあります。中国唐時代頃に薔薇が珍重され高値で取引された。間もなく国家が民間での栽培や売買の禁止令を出し、薔薇は宮廷の象徴のひとつになった。民間では薔薇に憧れながら牡丹を栽培する。流行したかは解りませんが、牡丹は中国の代表的な花として日本に渡ってきました。牡丹文や華唐草文と称された中国古陶磁にトゲが描かれているものを見つけることがあります。牡丹にトゲは無いので、もしかするとそれらは薔薇を描いたものかもしれません。」

 作品「牡丹」は、中国の画集から写し取ったものである可能性が高いものである。


 帝銀事件

 1948年1月26日、東京都豊島区の帝国銀行(後の三井銀行。現在の三井住友銀行)椎名町支店で強盗殺人事件が発生した。茶色のコートに「防毒消毒員」の腕章を着用した東京都衛生課並厚生省厚生部医員を名乗る男が「近くで集団赤痢が発生したので予防薬を飲んでもらう」と偽って行員16人に青酸化合物を飲ませて12人を殺害(4人生存)した。そして、現金16万円と小切手を奪って逃走した。翌日、安田銀行板橋支店で盗難小切手は換金された。

 その後の捜査により、同じような手口の未遂事件が、二回、発生していることが分かった。
         
 第一回は安田銀行荏原支店が舞台だった。前年の1947年10月14日、犯人は東京都品川区平塚三-七二二安田銀行荏原支店に現われ、支店長に「厚生技官・医学博士松井(しげる)」の名刺を示して、集団赤痢予防のためと、行員に消毒薬と中和剤と称する液体を飲ませたが、行員たちには異常なく、犯人も、間もなく姿を消した
 
   第二回は、帝銀事件から一週間前の1948年1月19日に三菱銀行中井支店で起きていた。この日、犯人は東京都新宿区下落合四-二〇八〇にある同銀行に現われ「厚生省技官・医学博士山口二郎」と印刷されたの名刺を見せて「集団赤痢が発生した家の者が預金に来ているので、銀行を消毒する」と告げたが、支店長に「それだけのことで、おおげさすぎる」と断わられ、この日は、郵便小為替一枚に液体を振りかけただけで、立ち去った。いずれも、実害がなかったので、警察には届けていなかった。

 これらの3件の犯人は同一犯と見られ、そのとき犯人が残した名刺「厚生技官・医学博士松井(しげる)」を過去にもらった人物を捜査し、平沢に行き着き逮捕された。

 平沢の自白は、取り調べ時拷問に近かったことや精神疾患による思いこみのものという疑いもあり、死刑判決後に、冤罪であるとしてその後何度も再審請求が出された。


 ここでは、帝銀事件犯人の「異常ともいえる性格」と、平沢が精神疾患を患っていたことが分かった。

 「異常ともいえる性格」とは、精神に大きな問題があるということである。

 精神疾患患者による殺人

 精神疾患を患っている人の犯罪率は、国民全体の犯罪率より低い。
 しかし、凶悪犯罪に限って言えば、明らかに精神疾患を患っている人の方が犯罪率が高い。
 通常の殺人には同情すべき点があるが、帝銀事件で起きた殺人には人を殺すという点に関しては、抑制というものが全くないように感じる。また、憎しみでの殺人、快楽での殺人ではない。金を取るにしては、あまりにも常気を逸している。犯人は、この帝銀事件の前に二度も類似のことを行っている。犯人は、大犯罪を白昼堂々とやってのけられるような大胆で冷酷な人である。これは、この犯人の精神的問題に起因する。
 

 今では、脳の変異はMRI等の診断機器により分かる。そして、重大な精神疾患には脳の変異があることが分かっている。

 問題のある脳  

 かって、ロボトミー(prefrontal lobotomy 前部前頭葉切截術)という脳手術があった。これは、脳の前部前頭葉と言う部分を切除するものである。日本では、精神病に有効な薬がない時代、3万人から12万人の患者がこの手術を受けた。
 この手術の考案者であるポルトガルのエガス・モニス(1875-1955)には、1949年にノーベル医学賞が与えられた。
 凶暴性を持つ患者は、この手術を受けると凶暴性がなくなる。これは、凶暴性が前部前頭葉に関係しているからである。

 また、「脳が殺す―連続殺人犯:前頭葉の”秘密”―」 (ジョナサン・H・ピンカス著、田口俊樹訳、光文社)にも、前頭葉の異常が殺人に関与していると記述されている。ただし、「幼児期の被虐待体験」、「重篤な精神疾患」および「脳の神経学的損傷」の三つが重なると、この種の殺人を犯す危険性が高くなるというのである。これらのうちどれも、それ一つだけでは凶悪な殺人を引き起こすことはまずないと言っている。


 それでは、平沢が患っていた精神疾患とはどのようなものだったのか。

 平沢貞通の精神疾患

  精神的問題のある人は履歴等で分かる。それは、幼少期の問題のある家庭環境(母親の死去等)、放浪、奇行、社会的孤立等がある。また、それ以前の問題として遺伝および胎児期での問題(母親の飲酒、インフルエンザ等)がある。
 遺伝、胎児期での問題、幼少期の問題のある家庭環境は、二十歳前後からの放浪、奇行、社会的孤立等として表れる。
 平沢の履歴等には、幼少期の問題のある家庭環境、放浪、奇行、社会的孤立等はなかった。
 しかし、平沢は狂犬病予防ワクチンの副作用でコルサコフ病と言う精神疾患を患っていた。
 コルサコフ病は、健忘、記銘力障害、見当識障害、作話の4症状を主とする病気である。

 これらは、脳障害からきている精神疾患である。狂犬病予防ワクチンの副作用により起きた精神疾患は、これ以外にもあるはずだ。

 脳標本の検査で前頭葉、側頭葉、脊髄にコルサコフ病の特徴である脱髄、白質病変が顕著であることが判明した。
 95歳で病死した時期に、このような明瞭な病変が広範囲に見られることから、秋元氏は「56歳の自白当時は、かなり強い脳病変とコルサコフ病の症状であったことが推定される。そのような精神障害をもっていた平沢氏の自白の信用性は、精神医学の立場から見れば到底認められるものではない」との見解を示している。(「平沢死刑囚の脳は語る 覆された帝銀事件の精神関係」平沢武彦編著、インパクト出版会)

 平沢の脳標本の検査では前頭葉に問題があったようだ。ただし、56歳の自白当時の脳病変の程度は分からない。


 そして、精神的問題は絵画にも表れる。
 しかし、帝銀事件後、平沢の描いた絵画の多くは捨てられている。

 絵画に現れる精神状態

 この絵画「薔薇」を出品された画家小林寿永氏からメールを戴いた。
 
 「ずっと昔、文展か帝展の画集でテンペラ画の「人物」を見たことがあります。そのときの印象は気味の悪い感じであった。殺人犯と決め付けて、見たのだと今は反省しておるのです」とあった。

 たんなる推測であるが、ほんとうに、「気味の悪い感じ」があったのではないだろうか。


 盗まれた現金と小切手
 
 現金16万4450円と額面1万7450円が盗まれた。翌日、小切手は換金されたので計18万1900円円が盗まれたことになる。当時の大卒の初任給は約4800円で、大卒初任給の約3年2ヶ月分となる。
 事件発生直後に平沢の通帳に8万円が入金されていた。これは、大卒初任給の約16ヶ月半に相当する。
 平沢犯人冤罪説の方に言わせると、これは画家平沢が作製した春画で稼いだお金ではないかということである。
 1947年(昭和22年)のエンゲル係数は63.0%で、2007年現在は約23%である。生活が豊かなときは、美術品等の購入に回せるお金があるが、生活にゆとりがないときは、それに回せるお金はない。つまり、需要と供給の関係から考えても、当時は、画家のほとんどは、画家としては生きていけなかった。
 春画となると多少儲かったかも知れないが、平沢が描いたとされる春画にはサインがない。平沢の春画をホームページで見たが、それほど売れるような代物ではない。大卒初任給の約16ヶ月半に相当する額を春画作製で稼ぐことは不可能に近いものである。


 帝銀事件で用いられた毒物

 男は「この薬は歯に触れるとホーロー質を損傷するから私がその飲み方を教えますから、私がやるようにして下さい。薬は2種あって最初の薬を飲んだ後、1分ぐらいして第2の薬を飲むのである」と言って、120cc入りの小瓶を取り出して、その液体を2cc入りスポイトで2回に分けて量り、4~5ccずつ分配した。
 男は舌の先を丸めて前歯と下唇の間に入れ、自分の茶碗に注いであった液体をのどの奥に垂らし込むようにして飲んで見せた。
 男の周りに集まって見ていた行員達14人とその家族2人(うち1人は8歳の子ども)の合わせて16人は、何の疑いもなく一斉に第1薬を飲んだ。
 そのとたん、行員達はのどや胸が焼けるようにカッカしてたちまち苦しくなった。そして、1分後、第2液を分配してもらって飲んだ。誰かがウガイに行ってもいいかと男に訊くと、いいと言われたので行員達は我先にと台所や風呂場に駆け寄った。

 犯人は同じ薬を飲んで異常はなかったが、これは、薬液の中にトロールまたは油類を入れることによって、比重の関係で油類は上層に浮かんで薬液は下層に沈むから、犯人は上層の無害の分を汲み取り自分の茶碗に入れ、それを飲んで見せた、と推測される。事実、この事件では、生き残った者の証言から、茶碗の中に入れられた薬液は、上方が澄んで、下層が白濁していて、少しガソリン臭かったというから、この方法を用いたとする根拠がある。また、軍関係では青酸化合物溶液を保存するのに空気に触れると、炭酸ガスと化合して次第に表面から無害の炭酸カリに変化するので、その防止に油類を入れて、空気に触れるのを遮断していたという。 犯人の態度は、16人を一挙に毒殺しようと企てていた者としてはあまりにも落ち着いた堂々たるものであった。薬をスポイトで量るにも、手元を震わさないで、応答もはっきりしていた。そのため、誰一人として不審に思わず、逆に、進んで薬液を飲んだ感じさえする。この犯人の度胸は、経験から生まれた自信によるものと見られている。

 当時、青酸カリの最低致死量は不明であった。各国の文献では、小動物の実験から、体重比例で推算した、0.15~0.3グラムが人体の青酸カリ極量とされていた。死亡に要する時間についても、10数秒の早さで窒息死するという程度であった。(以上は、ホームページ「帝銀事件」より)
 
 帝銀事件に用いられた毒物について3種類の説がある。それは、①青酸カリ(青酸カリウム)または青酸ソーダ(青酸ナトリウム) ②アセトンシアンヒドリン ③アミグダリン である。
 また、犯人説は①平沢 ②731部隊(日本軍化学兵器研究部隊)関係者 という2種類の説がある。
 毒物が、アセトンシアンヒドリンまたはアミグダリンなら平沢が犯人ではない。画家である平沢が入手できないものである。当然、犯人は別人である。

 ① 青酸カリまたは青酸ソーダ:戦後、青酸カリまたは青酸ソーダを用いた事件がいくつかある。それは、入手しやすいからである。青酸カリおよび青酸ソーダは、電気メッキ、印刷、写真製版、金属の焼き入れ、サビ落し、塗色などに広く使われていた。
 「当時は、青酸カリによる死亡に要する時間は10数秒の早さで窒息死する」とある。「1分後、第2液を分配してもらって飲んだ」とある。このように投与後にすぐには死亡しないなら青酸カリではないと考えられていた。
 しかし、青酸ソーダによる死亡時間は1分から15分以内である。青酸ソーダによる死亡時間は、通常1時間以内であると記載されているものもある。青酸ソーダが胃に入り胃酸により分解され青酸となり、その後血中に入り体内を回り死に至る。青酸は細胞中にあるチトクロムオキシダーゼという酵素中にある鉄と結合し、酵素活動を停止させ、細胞の呼吸を停止させる。
 「青酸コーラ無差別殺人事件」(ホームページ)には次のような記載がある。
 「『このコーラ、腐っている』 明は口に含んだコーラを吐き出し、水道の水で口をすすいでいたが、コーラを口にして5分ぐらいで、突然、倒れた。両こぶしを握ったままうつ伏せに倒れた明は、すでに意識不明の状態に陥っていた。」
 この青酸コーラ無差別殺人事件では、死亡まで約5分の時間が掛かっている。
 また、「青酸化合物溶液を保存するのに空気に触れると、炭酸ガスと化合して次第に表面から無害の炭酸カリに変化するので、その防止に油類を入れて、空気に触れるのを遮断していた。」(ホームページ「帝銀事件」)とある。青酸カリ溶液をメッキで用いるなら、炭酸ガスとの反応を防ぐには灯油である。これは、取扱上便利だからである。
 薬液は「ガソリン臭かった」とある。ガソリンと灯油の臭いは明らかに違う。しかし、普段ガソリンや灯油を取り扱っていない人には、その臭いの区別は間違える可能性は多分にある。ちなみに、当時は車を所有している人はあまりいなかった。また、多くの家庭では炊飯には薪を用いていた。
 当時、町工場では青酸カリ溶液は作りだめをして、含量低下防止のため灯油を入れていた。灯油は一部水と混じり白濁という状態を境界面に作る。帝銀事件で使われた溶液は、これと同じ方法で作られた可能性がある。

 薬は2種類あったので、当然、2液で反応を起こすものを考えるのは当然である。
 この2液反応説に佐伯氏のアセトンシアンヒドリン説がある。

 ② アセトンシアンヒドリン:無色の液体です。臭いは「特徴的な臭気」または「甘いアーモンド臭」とある。少なくとも「ガソリン臭い」というものではない。
 アセトシアンヒドリンのラット(経口)LD50値は18.65mg/kgである。また青酸カリのLD50値は10mg/kg、青酸ソーダのLD50値は15mg/kgである。青酸ソーダとほぼ同程度のの毒性である。この薬物の毒性が表れるには、第2液(反応促進液)は必要ない。青酸カリのように胃液で分解後、青酸が吸収されるというようなものではなく、直接胃より吸収され毒性を示すものである。胃よりの吸収は、アセトンシアンヒドリンが皮膚からも吸収されるということから考えると比較的早いと考える。そしてその後、血液中で分解され青酸になり毒性を出す。
 また、「無色・無臭・無味、水にもアルコールにも溶けやすく飲食物に混合しやすく、注射用アンプルに封入すれば保存・運搬が容易で従来の青酸カリに比し、謀略用に大変優れた性質を備えている」(ホームページ「謀略戦基地・能登研究所」和田和夫 季刊中帰連)とある。このため能登研究所および731部隊(日本軍化学兵器研究部隊)が研究した。
 この物質は、水を加えることにより分解する。次の考えが、2液反応説で、犯人は平沢でなく731部隊関係者だと言うものである。
 「『胃内などの酸性下では安定であるが、アルカリ性になるとアセトンと青酸に分解する。最初にアセトンシアノヒドリンを飲ませ、次に分解を促進する水などを飲ませると青酸中毒で死亡し得る。』 (「帝銀事件はこうして終わった―謀略・帝銀事件」参照)。731部隊ではアセトンシアノヒドリンの研究をしていたことが知られている。」
 この物質は液体である。また、薬はガソリン臭がしたというので2つのパターンが考えられる。それは、「ガソリン(または灯油)+アセトンシアノヒドリン」と「ガソリン(または灯油)+アセトンシアノヒドリン+水」である。この場合、ガソリン(または灯油)はシアノ基(青酸基)の酸化防止のためである。青酸カリまたは青酸カリ溶液の場合は空気中の炭酸ガスとカリウム(あるいはナトリウム)が反応するのを防止するのとは異なり、シアノ基の酸化防止であり、長期の保存のみに関係する。
 ②-1 ガソリン(または灯油)+アセトンシアノヒドリン:ガソリンはアセトンシアノヒドリンのシアノ基(青酸基)の酸化を防ぐために用いた可能性がある。しかし、酸化を防ぐためなら通常は酸化防止剤を加えるはずである。また、この組み合わせなら、アセトンシアノヒドリンとガソリンとでは、白濁は起きないと考える。
     アセトンシアンヒドリン← → アセトン+青酸   (← →:矢印は上下に重ねて記載する)
 この反応は平衡反応である。強塩基中で反応は促進される。胃液のpHでは、安定である。「分解を促進する水などを飲ませる」とある。これはpHが関係するためである。この考えは胃液のpHを上げるためである。
 胃液のpHは1.2程度から2.8程度である。空腹時の胃液量は約40mLである。第2液の液量は分からないが、反応液のように言われていますので多くはないはずである。仮に、胃液量を40mL、そのpHを2.0とし、第2液を水40mLとし、これを混ぜたとき、計算上ではそのpHは約2.3になる。たいして変化しないことが分かる。この辺のpH領域では、アセトンシアンヒドリンは比較的安定である。
 つまり、「分解を促進する水などを飲ませる」というのは誤りである。
 それでは、胃液が中性から塩基性になるようにしたらどうかと言われ方がいるかも知れないが、胃液を中性から塩基性にするためには、苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)溶液等の強塩基性溶液を加える必要がある。あるいは、非常に多量の弱塩基物質性溶液が必要である。犯人が用いた第2液は少量と考えるので、強塩基性溶液でなければならない。しかし、このような溶液を飲ますことは、この溶液の刺激性が強いため「第2液は水のようだった」とはならない。また、青酸ではなく青酸ソーダが出来るので毒性が青酸ソーダと同じとなる。
 ②-2 ガソリン(または灯油)+アセトンシアノヒドリン+水:この場合は、②-1と同様なことが考えられるが、白濁が起きる可能性は大きい。しかし、なにも水を加える必要はない。アセトンシアノヒドリン単品だけでなんら問題はないはずである。

 このアセトンシアンヒドリン説は、2液で反応が起きるものではなく、第2液は必要ないものである。つまり、佐伯氏が主張するアセトンシアンヒドリン説は説得性に欠けるものである。

 
 ③ アミグダリン:犯人を平沢か731部隊(日本軍化学兵器研究部隊)と考えると、アミグダリンではない。
 アミグダリンは酵素または酸により分解して青酸となり毒性を発揮する。そして、アミグダリンを投与後、これを分解するために(あるいは、すみやかに分解するために)酵素を投与したという考えがある。酵素は水には不溶性でで、懸濁させる必要がある。画家平沢では、アミグダリンおよび酵素の入手は不可能です。
 また、731部隊と非常に関連がある能登研究所で研究された薬・毒物についての記載があるが、アミグダリンについては記載はない。 (ホームページ「謀略戦基地・能登研究所」和田和夫 季刊中帰連)
 また、731部隊という殺人部隊ではこのような毒物を研究するはずもない。遅効性で強力な毒物はほかにもある。それも、単独で効くものがある。731部隊が、アミグダリンと酵素を用いて人を殺す必要性がどこにあるのだろうか。
 青酸カリの致死量は200mgと言われている。青酸カリの分子量は65.12です。アミグダリンの分子量は457.21です。これより、アミグダリンが青酸となって致死効力を発揮するためには、アミグダリンの必要量は最低でも1.4gとなります。また、アミグダリン1gを溶解するのに水は12mL必要ですので、アミグダリン1.4g溶かすには水が16.8mL必要となる。溶解後の容量で、約17-18mLになる。犯人は「120cc入り小瓶を取り出して、その中の液体2cc入りスポイトで2回に分けて、4~5ccずつ分配した」とある。アミグダリン1.4gを投与することは難しいのである。

 さらに、梅、桃、杏の仁にあるアミグダリンではなく、アオイ豆およびビルマ豆の中のファゼオルナチン、または、キャサバ(タピオカ)のリナマリンという青酸配糖体も考えられるのではないかという意見もある。しかし、アセトンシアンヒドリンという化合物は731部隊で検討されたというものですが、アミグダリン、ファルゼオルナチンおよびリナマリン等の青酸配糖体は731部隊とは関係ないはずである。誰が、このような化合物を毒殺用のものとして用いるのでしょうか。731部隊の研究者は、これらの化合物を食事に混ぜて要人に飲ませ、さらに、胃液で分解して苦しむ前に反応が進むβ-グルコシダーゼを飲ませる必要があるのだろうか。ある程度時間が経った後、死亡させるならヒ素化合物で充分である。このような殺し方は、何の役にも立たない。

 事件状況を見ると第1液だけで非常に強い症状が出ている。胃酸だけでアミグダリンが分解するなら、第2液の酵素液は必要がないはずである。
 また、アミグダリンは腸内細菌により分解し、毒性が表れるので、このような状況にはならない。

 また、「少しガソリン臭かった」ということは、説明がつきかない。このアミグダリンが持つシアノ基(青酸基)の酸化を防止するため、粉末時にガソリンをまぶすということは考えられないからである。そして、アミグダリンを水に分散した後、ガソリンを加えることも不自然です。それは、シアノ基(青酸基)の酸化には時間が掛かるからである。事件発生のだいぶ以前にアミグダリン分散溶液を作りだめする必要はないはずです。

 「事件前に起きた別の銀行の未遂事件の犯人と同一犯と見られ、そのとき犯人が残した名刺を過去にもらった人物を捜査し平沢に行き着いた名刺の本人にはアリバイが確定したが、偶然にもその名刺の人物(公務員)も731部隊出身であった。」(ホームページ「帝銀事件」より)
 ここでは、731部隊出身の名刺の持ち主が犯人とは言っていませんが、もし、他の731部隊出身者が犯人ならわざわざ731部隊出身者の名刺を使うのは不自然です。反対に、平沢は犯行に使われたものと同じ名刺が入った財布をすられたと前もって届け出しています。こちらの方が怪しいと考えます。

 平沢は同じ薬を飲んでも異常がなかったとのことです。これは、どの薬物を用いてもそのようなことは起きません。これについては私は分かりませんので、トリックの得意な手品師の方々に聞いて下さい。数種類の方法を聞くことが出来ます。
 また、使用した茶碗から青酸反応は出なかったようです。これについても分かりません。すべてに大胆である犯人は、洗って帰ったのかも知れません。青酸反応は、どの薬物を使った場合でも出てくるはずです。アセトンシアンヒドリン説では、反応を促進させるために水を用いたと説明にありますので、水を飲ませた後の茶碗からは青酸反応が出るはずです。また同様に、アミグダリン説でも、酵素液を飲ませた後の茶碗からは青酸反応が出るはずです。

 なお、事件当時犯人は非常に落ち着いていたとのことです。このため、毒物を使い慣れている731部隊出身者の仕業ではないかと言われています。これは、犯人が毒物を使い慣れているというより罪の意識が全くないことからきています。これより以前に予行演習のような事件が2度ほどありました。また、奪い取った小切手を翌日換金に行くということもありました。これらの一連の行為は非常に大胆です。これらは、犯人の精神的な問題からきているのではないでしょうか。


 青酸カリによる死亡時間

 「法医学ノート」(東大法医学教室古畑種基著)には、文献より青酸カリによる死亡時間を調べたものがある。
 
 57例の調査結果
 3分で死亡:2例、5分:7例、10分:2例、17分:1例、20分:4例、25分:1例、30分:3例、40分:2例、1時間:1例、2時間:2例、3時間:3例、7時間44分:1例、不明:29例
 
 最も早いもので3分である。


 青酸カリまたは青酸ソーダについての保管および取扱い状況

 当時、メッキ工場はほとんどが零細で、普通の民家を仕事場にし、二人ぐらいで経営していたところもあった。そして、毒劇物の管理は非常にルーズであった。青酸カリは一斗缶(18L缶)に入れられ、硫酸、塩酸の容器の側に置かれていた。溶かすのに時間が掛かるので、前もって溶かしておいた。使いやすいように桶に入れておいた。
 作りだめした青酸カリ溶液は、灯油で表面を覆って保管した。毎日使用している青酸槽の青酸カリは含量が低下する。その青酸カリの含量は、舐めて調べていた職人もいた。ごく少量なら問題はない?
 そして、非常に劣化したメッキ液は台風の時は川に流して捨てることもある。魚が浮かんできても、あまり怪しまない。普段も垂れ流しの工場はあったようだ。
 また、工場は酸が充満していて、メッキ職人は肺をやられ死ぬ人が多くた。
 当時は、多くの人が貧しかった。これが零細企業の実態だった。
 現在は、劣化したメッキ液を川に流したら社会的問題となる。しかし、中国や東南アジアでは、現在でも川に流し社会的な問題となっている。

 毒劇物の管理について記載されたものが公的機関のホームページにあった。戦後しばらく経っても中小企業の毒劇物保管管理はずさんだったようである。

 メッキ工場殺人事件
 
 昭和35年9月29日、大阪市の自動車部品製造加工業のメッキ工員が、やかんからお茶をついで飲み、死亡した。
 やかんからは同社で使用している青酸ソーダが検出され、容疑者として同社の研磨工が逮捕された。容疑者は、職場の通路に青酸ソーダの入った石油カンが置いてあり、すぐそばの棚にやかんが置かれているのをみて犯行を思いつき、青酸ソーダをやかんに投げ込んだという。
 同社の青酸ソーダは、いつも石油カンの中に入れ、無造作に通路に置かれていた。石油カンは薄いフタがかぶせてあるだけで、きちんとした保管管理者も決めていなかった。このような状態ならば、誰でも簡単に持ち出せる。不適切な管理が、この殺人事件をおこさせるきっかけになったといえる。


 冤罪について

 冤罪とは「無実の罪」である。拷問を受けたかどうかではありませないん。また、拷問を受ければ、行っていないことでも認める可能性があるため、拷問を受けての自白は証拠にはならない。

 当時は自白が重要な証拠となるが、現在では長時間の取り調べでも拷問となる。しかし、当時の警察は、平沢に与えた程度の拷問は特に問題視されなかったのではないだろうか。
 平沢は、「あなたは、拷問を受けて自白したのだろう。ほんとうは、無実なのだろう」と問われれば、当然、「私は無実だ」と答えるだろう。そしてそのうち、平沢は「自分は無実だ」と思いこんでしまったと考える。それは、彼がコルサコフ病だからだ。
 

 終わりに

 この作品「牡丹」は、現存する平沢のテンペラ画としては大変貴重なものである。
 
 私は、帝銀事件の犯人は画家平沢貞通と考える。彼が逮捕されたのは、ほかの銀行で類似の事件があり、そこで使われた名刺からである。
 逮捕後、平沢は過去に4件の銀行を舞台としたっ詐欺事件を起こしていたことが分かった。
 そして、私が言うように精神に問題がありました。これは、私が、平沢にコルサコフ病で精神的な問題があるということを知る前に考えたことである。
 このようなことを確率的に考えると、平沢が犯人以外の何者でもないことになる。これが確率的な見方であり、また、普通の見方である。

 それは、平沢の飼っていた犬が狂犬病になったことから始まった。そして、平沢は狂犬病ワクチンを受け、その副作用によりコルサコフ病という精神疾患にかかった。そして、戦後最大の殺人事件発生。警察による長時間の取り調べ。裁判時での自供の否認。死刑判決。何人もの法務大臣による死刑の延期による長期収監。多くの冤罪説。そして冤罪事件の象徴となった。まるで、バタフライエフェクト(風が吹けば桶屋が儲かる)のような世界である。


 履歴等

1892年  東京に生まれる。
1898年  両親とともに北海道に渡り、札幌、小樽と住所を変える。
1911年  日本水彩画研究所に入所。
1912年  旧制小樽中学校(現在の北海道小樽潮陵高等学校)卒業。
1913年  日本水彩画会結成に石井柏亭・磯部忠一らとともに参画。
1914年  結婚する。
1915年  上京し東京美術学院の講師となる。
1919年  第1回帝展に出品。
1921年  第9回光風会展で今村奨励賞を受賞。
1924年  狂犬病予防注射の副作用でコルサコフ病という脳疾患(精神疾患)を患う。
1930年  日本水彩画家会委員に就任。
1947年  青函連絡船上で画家平沢貞通と名刺を交換。
1947年10月14日  安田銀行荏原支店で事件発生。
1948年1月19日 三菱銀行中井支店で事件発生。
1948年1月26日 帝銀事件発生。その後、平沢は帝銀事件の犯人として逮捕される。平沢は公判で無実を主張。
1955年  死刑が確定。
1987年  95歳。八王子医療刑務所で肺炎を患い病死。


 参考文献および参考サイト

「脳が殺す―連続殺人犯:前頭葉の”秘密”―」 (ジョナサン・H・ピンカス著、田口俊樹訳、光文社)
「平沢死刑囚の脳は語る 覆された帝銀事件の精神関係」(平沢武彦編著、インパクト出版会)
「謀略戦基地・能登研究所」(ホームページ 和田和夫 季刊中帰連)
「銀座黒田陶苑トピックス2006年6月」(ホームページ)
「帝銀事件」(ホームページ)
「青酸コーラ無差別殺人事件」(ホームページ) 



  

 



+++++++ 以下は私用のメモです。 +++++++


 記載事項の差異

 アセトンシアノヒドリン(CAS No. 75-86-5)

① 「謀略戦基地・能登研究所」(ホームページ 和田和夫 季刊中帰連)より
 無色、無味、無臭
 青酸二トリールの致死量は大体1cc(1g)で、2~3分で微効が現れ、30分で完全に死に至る。しかし体質、性別、年齢などにより死亡まで2,3時間から10数時間を要した例もある。

② 「HNS海上流出事故対応データ・ベース」(社団法人日本海難防止協会、独立行政法人海上災害防止センター)より
 LD50 17mg/Kg(ラット)
 臭気:甘いアーモンド臭
 加熱や水との接触により分解し毒性の高いシア化水素を生じる。

③ JETOC 2003 より
 環境-アセトンシアノヒドリンの毒性は,主にシアン分子が解離して非解離青酸分子が生成することに帰せられると考えられている。青酸分子は小さく,電荷を持たないので,水生生物の体表膜を容易に通過して(Doudoroff, 1976)呼吸を阻害する。
どのような環境問題も親化合物ではなくシアン化物が原因で起こると思われる。
アセトンシアノヒドリンの環境中濃度に関するデータは無く,本物質は急速に解離する中間体であり, 閉鎖系で製造されるので,放出による環境中濃度の基礎モデルも無い。
それゆえ,PNEC*を解釈することは困難である。
しかしながら,アセトンシアノヒドリンの急速な解離と排出が厳重に管理されている事から, PNEC*に到達することはありそうも無いと思われる。
 ヒトの健康-アセトンシアノヒドリンからのシアン化水素の急速な生成は懸念される, 重大な健康悪影響は急性の死亡である。しかしながら,予想される人体ばく露レベルでは, 全身影響は起こりそうもない。本物質は遺伝毒性を持たず,発生と生殖系に対しても毒性を持たない。

④ 「MSDS情報」(安全性情報センター 化学物質情報)より
 安定性および反応性
安定性: 酸素濃度が低いと抑制剤の効果が減じられ危険な重合状態になることがある。
加熱により、あるいは塩基や水との接触により急速に分解し、毒性が非常に強く、引火性のシアン化水素,アセトンを生じる。
危険有害反応可能性: 酸や酸化剤と激しく反応し、火災や爆発の危険をもたらす。
酸性水溶液、塩基性溶液と反応して有毒なヒュームを生じる。
避けるべき条件: 加熱。蒸気の漏洩。
混触危険物質: 酸化剤、酸、塩基。
ある種のプラスチック、ゴム、被膜材を侵す。
危険有害な分解生成物: 燃焼した時、有害なシアン化水素を発生する。
 有害性情報
急性毒性: 経口 ラット LD50 0.017ml/kg(換算値15.8mg/kg)
飲み込むと生命に危険
経皮 ウサギ LD50 0.017ml/kg(換算値15.8mg/kg)

⑤ 「SIDS INITIAL ASSESSMENT PROFILE」より
  Stability in water   at pH 4.9, 6.3 & 6.8   T½ = 57, 28 & 8 minutes
 (補足:水道水 pH 5.8~8.6)


 
日本中毒学会ホームページ

 青酸化合物

自然界にもバラ科の植物(ウメ,モモ,アンズなど),南方産の豆(アオイ豆,ビルマ豆など)にはアミグダリン などの青酸配糖体が含まれており,胃酸によって加水分解された遊離シアンが原因で中毒を起こすことが あるといわれている.



アミグダリンそのものには毒性は無いが、エムルシン (emulsin) という酵素によって加水分解されるとグルコース、マンデルニトリルが生成され、さらにマンデルニトリルが分解されるとベンズアルデヒドと猛毒であるシアン化水素(青酸)を発生する。

エムルシンはアミグダリンを含む未熟な果実などと一緒に含まれる事が多く、アミグダリンを含む果実が熟すにつれてエムルシンの作用によりアミグダリンは分解され、濃度が下がっていく。この時に発生する青酸も時間と共に消失していく。このため、熟したウメやアンズなどをヒトが経口摂取しても青酸中毒に陥る心配はほとんど無い。

エムルシンは、動物の体内に存在するβ-グルコシダーゼという酵素の一種である。高濃度のアミグダリンが残った果実などを経口摂取すると、エムルシンとβ-グルコシダーゼによってアミグダリンは体内で加水分解され、青酸を発生し、中毒を起こす。ただし、致死量は遊離した青酸の状態でおよそ60mgとされており、この量を満たすためには多くのアミグダリン(未成熟なウメで100~300個ほど)を必要とするため、少量であれば死に至るほどの効果は表れない。

アミグダリンを含む果実を、傷つけたり動物が食べた時、アミグダリンは果実の仁に存在するエムルシンという酵素や動物の腸内細菌のβ-グルコシダーゼという酵素によって分解され、シアン化水素(青酸、HCN)を発生します。
 
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