関口俊吾

サロン・ドートンヌ審査評議委員という栄誉


 はじめに

 当美術館「屋根裏部屋の美術館」所蔵の関口俊吾「少女裸像」を紹介する。
 関口俊吾は、サロン・ドートンヌ審査評議委員を務めるというすばらしい経歴を持ちながら、知られざる巨匠とも言える人である。

 「屋根裏部屋の美術館」には多くの画家を取り上げているが、国際的に通用する画家としては、田中保、国吉康雄、藤田嗣治(「村上肥出夫」のページに掲載)等しかいない。
 それに次ぐ画家として、関口俊吾がいる。
 
 彼は、「サロン・ドートンヌ審査評議委員を務める」という最高の栄誉を得たのである。


 関口俊吾

 フランス三大展などで数々受賞。最高峰のサロン・ドートンヌの審査評議委員を務めるなど、パリ画壇に生き偉大な功績を残した巨匠。


 サロン・ドートンヌ

 現存する芸術家の作品を定期的に展示するフランスの展覧会、すなわち「サロン」の代表的なもののひとつ。毎年秋に開かれる。「サロン」の名称は、ルーブル美術館内の「サロン・カレ(方形の間)」で行なわれたことに由来し、元来、政府主催、審査制度をその特徴とする固有名詞であった。が、1881年にその「サロン」が民間の組織として独立して以来、多くのサロンが設立された。そのなかでも代表的なものが、この「サロン・ドートンヌ」である。「サロン・ドートンヌ」はF・ジュールダンを中心とし、H・マティス、G・ルオー、A・マルケ、E・ヴュイヤールによって創立され、すでに大家となっていたA・ルノワール、O・ルドン、J・K・ユイスマンスらに支持された。後にA・ドラン、M・D・ヴラマンク、K・ヴァン・ドンゲン、G・ブラックが参加するなどし、フォーヴィスムやキュビスムが展開する場となる。(東京国立近代美術館研究員保坂健二朗)
 

 「谷崎潤一郎=渡辺千萬子往復書簡」(中央文庫)

 谷崎潤一郎と義理の娘にあたる渡辺千萬子の間で、300通に近い往復書簡が存在した。
 渡辺千萬子は、『瘋癲老人日記』のヒロイン颯子のモデルとなったといわれる人物である。
 その往復書簡には、次のようなものがある。

 「ピアノは松本さんに頼んで白いのを探している。二階の窓はたをりが落ちると心配なので手すりを。その他家の造作について。関口俊吾筆裸婦像を架けたい。棟方のバラと安井曽太郎のもの、池大雅のを中公から送らせる。」

 この書簡には、棟方志功、安井曾太郎、池大雅のという巨匠にまじって関口俊吾の名前がある。そのなかで、谷崎は関口俊吾の裸婦像を架けたいと言っている。

 以下に掲載する作品で、「Nue」(個人蔵)、「サン・ルイ島」は、非常によいものである。
 

 作品「少女裸像」(1955年、屋根裏部屋の美術館蔵)




 作品「Nue」(個人蔵)




 作品「サン・ルイ島」(1968年)




 作品「仏風景」(1977年、ブログ「葦の髄から循環器の世界をのぞく」より)




 作品「ル・コンケ湾」(1992年、ginza_art取扱、個人蔵)




 履歴 

1911年 兵庫県神戸市熊内に生まれる。
1931年 鹿子木孟郎に師事。
1935年 渡仏。
1936年 招聘留学生の資格を得る。パリ国立高等美術学校に入学。
1937年 サロン・ドートンヌで入選。
1941年 海軍の特務艦浅香丸で帰国する。
1951年 再渡仏。(戦後の渡仏者としては、荻須高徳、藤田嗣治についで三人目)
1952年 サロン・ドートンヌ再入選。
1959年 ヴィシー国際展にてパリ・アンデパンダン賞受賞。
1964年 ジュビジイ国際展にてディプローム・ドヌール(名誉表彰)賞受賞。
2002年 死去。享年91歳。


 主な収蔵美術館

東京国立近代美術館
神戸市立小磯記念美術館
神戸市博物館
兵庫県立美術館

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