屋根裏部屋の美術館

香月泰男 そこにいるのは子供香月泰男

2007.4.1
中村正明
masaaki.nakamura.01@gmail.com

 初めに

 当美術館「屋根裏部屋の美術館」が所蔵する香月泰男「一本道」(仮題)を紹介する。
 作品「一本道」(仮題)は子供が描いたようなものである。
 なぜ、香月がこのような作品を描いたのか。

 
 香月泰男(かづきやすお)1911-1974
 
 明治44年山口県に生まれる。昭和4年上京して、翌々年東京美術学校に入学。在学中から受賞を重ねて活躍するが、昭和18年召集を受け、満州に出征。昭和22年ようやく復員し、シベリア抑留体験によるシベリア・シリーズを始め、晩年に至るまで制作。昭和44年第1回日本芸術大賞を受賞。

 「父なく、母なく兄弟なく育たなければならなかった私は、いつも孤独だった。オレは誰にも必要な存在じゃないんだ。いなくたって誰もどうとも思いやしない。死んでやろうかな。そんなことまで考えるときがあった。」(香月泰男)




 作品「一本道」 (仮題、1972年61歳頃?、屋根裏部屋の美術館蔵)



 作品説明

 この絵画はまるで子供が描いたようなものである。


 作品「空き地」(仮題、1972年61歳制作、所有者不詳)



 作品解説

 この絵画もまるで子供が描いたようなものです。しかし、子供では描けないものがあります。


 山口県・三隅 愛の世界

 「4年以上にわたる軍隊・抑留生活で香月が決して手放さなかったものが三つある。生き別れた母親からもらった絵の具箱とセーター、そして自分たち夫婦の写真を入れ入れたお守りだ。」

 幼少期に父母と離別した香月泰男にとって大切なもの それは、母親と妻である。

 香月泰男は、郷里の山口県・三隅で仮想の世界を創り上げた。
 そこには、妻が母であり、自分が子供であるという世界である。

 ***子どもの頃の孤独感が一生つきまとっていた。だから寂しがりやで、妻が外出するのも嫌がった。妻が家の中で掃除や洗濯をしてごそごそしていれば、安心してずっと絵を描いていた。
長男や次女に子どもができると、香月は多数の「親子像」を描いた。父親が赤子を抱き上げていたり、母親が駄々っ子をあやしていたり。***

 妻が家を出るとき、幼いとき自分を置いて家を出て行った母を思い出すように不安を感じるのである。それは、あたかも妻を母のように考え、自分を子供のように考えているからである。
 長女慶子さんが亡くなり、その別れとともに現実に返えりました。愛する人との別れ。それは、耐えるには辛すぎる出来事だったのである。

 ***「父なく、母なく兄弟なく育たなければならなかった私は、いつも孤独だった。オレは誰にも必要な存在じゃないんだ。いなくたって誰もどうとも思いやしない。」***

 この作品「一本道」は、香月泰男が子供になって描いたものである。そばには母親のように感じる妻がいる。香月は存在しなかった「心安らぐ愛のある世界」を創っていたのである。


 作品「母子」(堀美術館蔵)



 作品解説

 ここに描かれている子供は画家香月泰男である。
 画家が絵画制作で心の傷の修復を行っているのだ。香月は描かなければ生きていけないのである。
 幼少時代に得られなかった母との思い出を三隅で創り続けているのである。


 香月が受けたストレス

 香月は幼少期に父母と離別した。父は遊郭通いなど放蕩(ほうとう)の末に朝鮮半島で死去。母も離縁の形で家を去った。香月を育てたのは祖父母と叔父だった。

 香月は大きなストレスを何回か受けている。
 それは、幼少期の母との離別、シベリア抑留、長女の死、そして過度の飲酒である。
 大きなストレスは積み重ねられます。それは、脳にある海馬等の萎縮が起き、それは容易には治らないからである。
 萎縮した海馬は、ストレスに対してさらに対応が出来なくなる。
 
 幻覚を持つ人は、幼少期に母親の愛情を十分に受けられなかった人に多い。

 また、幼少期に母親の愛情を受けられなかった人はストレスを非常に感じやすくなる。

 戦争という大きなストレスは人の精神に大きな問題を残す。
 シベリア抑留という過酷な状況は、ストレスの度合いで言うと現在のイラク戦争より大きいと考える。イラク戦争でのストレスは次の論文で分かる。
 「イラクとアフガンの帰還兵10万3788人のデータを分析したところ、25%にあたる2万5658人が精神的障害を有することが確認された。また、その約半数に当たる1万3250人が心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断された。」(カリフォルニア大サンフランシスコ校 カレン・シール博士)

 香月は、長女の死でストレスを受け、飲酒が増えた。
 1日2合以上の飲酒で脳に萎縮が起きる。慢性アルコール中毒の患者に高率に脳萎縮が見られ、そして、幻覚が生じることもある。

 香月は、精神に変調を来した可能性が非常に強い。


 幻想的な絵画があった。
 「繰り返しのある点」 これは、統合失調症の患者が描く絵画に見られる特徴である。
 この絵画には、その「繰り返しのある点」がある。

 幼少期の孤独。
 シベリア抑留という過酷な体験。
 
 義理の母、妻、子供のいる世界。そこで、香月は子供時代に戻ったのである。穏やかな生活で安らぎというものを感じたのである。

 その世界に長女の死が訪れ、その仮想の世界にひびが生じた。

 酒を飲んでも孤独が消えるのは一時である。酔いが覚めると、また孤独になる。

    孤独という暗闇が彼の世界を覆い始めた。
    暗闇の中にある螺旋階段を下り続けるて行くと、ある世界が見えた。
    子供である香月が絵を描いている。「一本道」、「空き地」を描いている。
    しかし、子供は孤独だ。
    さらに、螺旋階段を下りていくと、また別の世界が見えた。
    不思議な世界。静かな世界だ。孤独という恐怖はない。

 作品「鳥」(仮題、所有者不詳)



 ハインリッヒ・クルーヴァー(1920年代 シカゴ大学)は、自分自身でメスカリンを飲んだり、幻覚剤を飲んだ他の人たちにインタビューした結果、幻視に は「定型」があることを見つけた。その「定型」の基本的なパターンは次の4つである。

 @ 格子とハチの巣模様
 A クモの巣模様
 B トンネルと円錐
 C 渦巻き

 クルーヴァーは、この4つの図形は、ドラッグ中毒のほかにも、たとえば、偏頭痛、てんかん発作、精神病、夢、中毒による震え、高熱、感覚喪失、酸素欠乏 といった多くの状態によって引き起こされると述べた。(「科学を捨て、神秘へと向かう理性」 ジョン・ホーガン著、竹内薫訳、徳間書店)

 この作品には、クモの巣模様がある。


 終わりに

 長女慶子さんが亡くなった後、香月泰男は夢の世界へ迷い込んだ。そばには母がいて、香月は子供になって絵を描いていた。


 履歴 

 香月泰男美術館「香月泰男 履歴」より

1911年(明治44年) 山口県大津郡三隅町に生まれる。兄弟はいない。
1915年(大正4年) 4才 父母協議離婚。母・八千代一時家を出る。
1918年(大正7年) 7才 三隅村立明倫尋常高等小学校に入学。家庭環境からの影響もあって、友達と遊ぶより一人で時を過ごすことのほうが多かった。
1921年(大正10年) 10才 母・八千代香月家を出る。小学校4年の頃から画家になることを夢見ていたという。これには遠縁に当たるものに雪舟の流れを汲む雲谷派の末裔がおり、その原稿などが家にあったことなどが影響しているものと回想している。またこの頃初めてクレヨンを手にしてその色に魅せられる。 山口県立美術館の安井雄一郎氏の調査によると、雲谷派の末裔とは曾祖父・玄齢の妻・マスの兄弟で、萩の原家に養子に入った謙三の子・つちに迎えた養子の画家であったろうという。
1922年(大正11年) 11才 すでに家を出ていた父・貞雄、朝鮮の大邱にて客死する。
1923年(大正12年) 12才 祖母・チセ死去。学校の教師の描く水彩画・油絵画などにつぎつぎに魅惑されていく。
1931年 東京美術学校に入学、藤島武二の教室に学ぶ。
1934年 「雪降りの山陰風景」で国画会に初入選。
1936年 東京美術学校油絵科を卒業。北海道庁立倶知安中学校に美術教師として赴任。スランプに陥り絵画の制作はあまり行われなかった。
1938年 山口県立下関高等女学校(現・山口県立下関南高等学校)に転任する。
1939年 梅原龍三郎、福島繁太郎の知遇を得る。「兎」第三回文展特選。
1940年 国画会第15会展で佐分賞を受賞。国画会同人に推挙される。
1942年 太平洋戦争の開始で、召集を受け、満州へ。
1945年 ソ連シベリアにて抑留され、クラスノヤルスク地区のセーヤ収容所で強制労働に従事。これが、彼のシベリア原体験となり、その後の作品全体の背景となる。
1947年 帰国。下関高等女学校に美術教師として復職。
1948年 郷里の三隅に戻り、山口県立深川高等女学校(後に大津中学校と統合の上、山口県立大津高等学校となる)に転任。
1955年 マチエルに方解末を用いた独特の黒い作品が生まれる。
1956年 「ヒューザンス」がメルボルン近代美術館に収蔵される。
1960年 大津高等学校を依願退職。その後しばらくは創作活動に専念。
1966年 九州産業大学に新設された芸術学部油絵科の主任教授を委嘱される。
1968年 西日本文化賞受賞。
1969年 「シベリア・シリーズ」で第1回日本芸術大賞を受賞。
1971年 安井賞選考委員を委嘱される。長女・慶子死去。
1972年頃 作品「一本道」(仮題)
1974年 心筋梗塞にて死去。勲三等瑞宝賞受賞。

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